7月2日牡羊座下弦の月。下弦の月は次の新月から新しく始まるサイクルに向け、これまで蓄えた中から不要となるものを手放しておくのに適した時期です。太陽と月のサビアン・シンボルから、いま手放しておくべきものを考えてゆきます。
蟹座のシーズンが促すもの
現在太陽は蟹座。
そして牡羊座にある月は第9ハウス。
第9ハウスは
「精神的な学び」のハウスと言われます。
今回の蟹座のシーズンで
学んでおくべきことは?
蟹座が促すのは
人と人とが繋がること。
そのためには
「共通の認識」
「共通の価値観」が
必要です。
誰かと「価値観を共有」することで
自分はひとりぼっちの存在ではない
と安心できる「居場所」が生れます。
そんな「共通認識」のベースには
「共感」が必要です。
そして「共感」に必要なアイテム…
それは
「こころ」や「感情」ではないでしょうか?
12星座の中で
【水のエレメント】が
一番初めに現れるのが蟹座です。
【水のエレメント】は
「情感」や「気持ち」など
目に見えない「こころ」の領域。
牡羊座で生まれ
牡牛座、双子座と成長してきた子どもは
蟹座で「他者」に出会います。
楽しくてワクワクするものを
あちこち探し回っていた双子座ですが
目の前に「誰か」が現れ、初めて
純粋に好奇心を満たそうとする中では
気付かなかった
「感情」や「こころ」を知るのです。
水瓶座時代へ向けて
昨年末に水瓶座の時代に移行し
これからますます
「個性の時代」になってゆく
と言われます。
水瓶座とは
対向の獅子座で培われた
じぶん自身の「個性」がベースにあって
そこが「基盤」になっているから
「相手の=お互いの個性」
を認め合える
「仲間=コミュニティ」を
創っていけるのだと思います。
そしてその「獅子座」に向かうための
プロローグが「蟹座」です。
そのためか
昨年2020年は
【水瓶座時代】を迎える前
「宇宙元旦」と言われる
2020年春分のホロスコープで
第1ハウスの始まるポイント
アセンダントが蟹座。
そして
蟹座新月が夏至同日と
更にもう一回。
また2度とも日食を伴っていました。
このように蟹座がとっても
クローズアップされた年だったのです
反対に「獅子座」では
「蟹座」の「共同体」を否定して
自己を表現し
個性を発揮してゆく…とされますが
そのベースには
蟹座で育まれた「情緒」が
不可欠ではないでしょうか?
牡羊座下弦の月のサビアン・シンボル
今回の牡羊座下弦の月で
月の位置するサビアンは
牡羊座11度
「国の支配者」
というシンボルです。
牡羊座から誕生した
自己はとても純粋な存在で
彼の「思い」で
彼の「世界」を創ってゆきます。
彼は
自分自身が生きる国を
支配する者。
生れたばかりの赤子のごとく
素直な気持ちで
何のてらいもなく
自分の欲しいものを欲しいと主張します。
けれども
ネガティブな側面としては
周囲の人びとは
有無を言わさず
それに従わされるかもしれません。
太陽のサビアンは
蟹座11度
「しかめっ面をするピエロ」
です。
この蟹座11度のピエロは
みんなが盲従していると感じる事柄に憤りを感じ
周囲の人が盲従している価値観や常識を
皮肉を込めて捉え
自分の感じ方は、周囲の人の見方とは違うし
他の人は正直ではないと感じ
ているようです。けれども
自分の感じ方を
素直に表現するには
邪魔なものがあり過ぎ
素直な表現ができずに茶化したりする
事で紛らわせています。
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
「しかめっ面」という
顔の表情を作ることで
「支配者」を風刺し
ひとびとの笑いを誘っているのです。
喜劇王チャプリン
この2つのサビアンから思い出されるのが
往年のサイレント・ムービーで
人気を誇った
喜劇王チャプリンです。
ヒトラーそっくりな格好で風刺した
「独裁者」という映画もありました。
幼少期に売れない女優であった母親と共に
救貧院を転々としながら
舞台に出演していたそうです。
後にあのピエロを彷彿とさせる
「放浪者」と呼ばれる格好で
一世を風靡しました。
人気が出てからも
スキャンダルや
政治的姿勢を非難されるなど
波の多い人生だったようです。
そうしたバッシングに負けず
ひとつの映画の脚本に
2年以上かけるなど
切磋琢磨を怠らずに
映画製作に情熱を注ぎました。
生涯映画を通して
自分の「思い」を伝えることを貫き
大衆に訴え続けました。
悲劇がかえって笑いの精神を刺激してくれるのである…
笑いとは、すなわち反抗精神であるということである。
私たちは、自然の威力というものの前に立って、
自分の無力ぶりを笑うよりほかにない
-笑わなければ気が違ってしまうだろう。
チャールズ・チャップリン、悲劇的な題材からコメディを作る理由について
(Wikipediaより)
感情や思いを
「笑い」に変えることで
心を軽く出来る…ということですね。
蟹座のこころ
読者の方の中にも
蟹座に天体を持つ方は
多くおられると思います。
一般に蟹座というと
母性的、優しさ…
といったキーワードが並びますが
蟹座の方には案外
優しいけれど
どこか強い部分もある印象です。
けれどもそれは
例えて言うなら甲羅のような
外側の強さであって
「芯のある強さ」ではなく
どこかはかなげなイメージが…。
(そう言えば
往年のアイドル中森明菜さんなんかも
太陽が蟹座の方でしたよね。)
「芯」が強いというものではなく
どこかはかなげなイメージが…
(そう言えば最近YOUTUBEで話題の
中森明菜さんなんかも
太陽が蟹座の方でしたね
一見強そうだけれど
とてもはかなげで
傷つきやすい印象ですよね)
固い蟹の甲羅の中には
どろっとした液体が含まれていますね。
蟹座の心の中では
外側からうかがい知れない
ドロドロしたものが
隠されているのだと思います。
言わば蝶になる前のサナギのように。
列車に破壊される自動車
実は私自身も
太陽ではないですが
蟹座に3天体があります。
今世では
「蟹座」を重点的に学んで来よう
と意図設定して生まれてきたのかな
などと思います。
恐らく共感力や感受性は高い方…。
けれどそれで得をしたよりは
辛い思いをしたことの方が多かったです。
「ピエロ」のように
「しかめっ面」をしたくなるシーンにも
たびたび出くわしました。
よくあったのが
私以外の方全員が
誰かの言った「○○」に賛成!となった時に
蟹座11度のピエロのように
「自分の感じ方が他の人と違っている」
ような
拭えない「違和感」を感じてしまうこと。
けれど
その「違和感」を表明すれば
「ワガママ」というレッテルを
貼られてしまうのではないか。
「空気の読めないひと」
「協調性のないひと」
「素直でない」
そういったイメージを
持たれてしまうのではないか…
そんな「怖れ」が顔を出してきます。
それでもめげず
その「違和感」や「思い」を
表したこともありましたが
未熟な表現からか
相手に伝わらず…
怒らせてしまって怒鳴られたり
相手も自分も
傷つけてしまったり…
松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」によると
それぞれのサインは6つの段階に分かれ
そのサインでの「学び」が進みます。
蟹座の第1グループ(1~5度)の最後は
蟹座5度
「列車に破壊された自動車」
と言うシンボル。
牡羊座11度
「国家の支配者」
のネガティブな側面が
このシンボルの「列車」でしょうか。
何の準備もなく
自分の「思い」だけで
果敢に「列車」に向かっても
「じぶん」という「小さな自動車」は
あえなく破壊されてしまうのです。
それでだんだんと
「これは言わない方がいいこと」
と自分の中に柵をつくり
「他の人とは違う感じ方」
に対しては
口を閉ざすようになりました。
まるで蟹の硬い甲羅のよう。
自分の内側に隠れるように
家に引きこもっていたことも。
そんな時には
恐らく「第5チャクラ」が
詰まってしまうのでしょう。
喉のあたりが詰まったり
咳が止まらなくなったり
甲状腺の病気が疑われて通院したり…。
そんな時に
かろうじてできる
唯一の自己表現が
「しかめっ面」だったと思います。
けれども
チャプリンのように
それを「笑い」に変えて
ひとの心を掴む術のなかった私は
ただ「ふくれっ面」と取られただけでした
言葉にならないものを言葉に
けれど蟹座は
続く第2グループ(5度~10度)では
もっと自分自身の
「感じ方」や「直感」に
自信を持っていくとされます。
自分で自分が
「私は本当はこう思っている」
「私は本当はこう感じている」
ことを活き活きと感じ取ってゆくのです。
第2グループの最後には
蟹座10度
「完全にカットされていない
大きなダイヤモンド」
というサビアンが出てきます。
ダイヤの研磨とは
心で受け止めた
「形もなく、言葉にならないもの」を
どうにかして「他者」に伝えるために
奮闘する過程とも言えそうです。
言葉に言い表せないような
内的な実感を
強固な確信として
他者の心無い攻撃を受けても
割れない強さを持とうと
人に伝えることの出来る
明確な表現力として鍛えてゆく
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」より抜粋)
私自身、その後随分と時間を経て
*自分で自分の感情を受け止めること
*自分の感じていることを整理すること
*それを人に伝えられる形に整えること
*怖れを手放し勇気を持って伝えていくこと
*その際は「私は…」というアイメッセージ
(自分主体で話す話し方)で伝えること
…など色々なことを学んできました。
そして少しずつ
「自分の感情」とうまく付き合い
また「他者」や「外界」とも
良い形で関われるように
なっていったと思います。
ハートのカードを出してみる
そして第3グループ(11度~15度)では
「感じ取っている思い」を
「恥ずかしさ」を超えて
「他者」や「外界」に主張してゆきます。
でもそれは獅子座のように
大っぴらに
ドラマティックに
「私は…」と
自己表現するのとは少し違います。
ただ自分がどう思い、
何を感じているか
自分の気持ちを素直に表現すること。
それはまるで
トランプゲームで
真ん中に積まれたカードの山のてっぺんに
私はこう感じているのです。
と、自分の「気持ち」を
そっとのっけてみるような。
それによってその場に居る人の中で
その「思い」に
「共感」してくれる人を待つような。
そこに生まれてくる「人の輪」こそが
蟹座が
求めているものではなかったでしょうか?
もしも私のように
なかなか「共感」が得られなかったとしても
諦めずに
何度も何度でも
根気強く
カードを出し続ける。
そうすることで
だんだんと
相手の「しかめっ面」の裏にある心
を受け止められるように
なってきた気がします。
そうすると
不思議なことに
それまでは「敵」でしかなかった人々が
「理解者」や「協力者」へと
変わってゆき…
笑顔を向けてくれたのです。
自分の内側が変わることで
「他者」や「外界」も
変わってゆくのですね。
自分の「感じていること」を問う
そのための最初の一歩が
まずは出すべきカードを見極めること。
自分が
何をどんなふうに
「感じている」のかを
見つめてみること。
どんな感情も
意味があって
そこに現れています。
ここで考えてみたいのは
私以外の
「○○」に賛成していた方々は
本当に「違和感」を
感じていなかったのか?
ということ。
心の底から賛成していたというより
「場の空気を乱さない」ために
「長い物に巻かれる」ことを
選んでいただけではなかったでしょうか。
「感じていること」に気付かないか
気付こうとする自分から
目をそらしていただけ
ではなかったかのでしょうか。
「感じないように」
「見ないように」
「考えないように」
いま子供たちの学校を見ていると
自分の頃よりは随分と変わったなと
思うことがあります。
けれども
わたしたち親の世代では
子供の頃からずっと
「感情」は見ないで抑え込むこと
それが「美徳」とされるような教育が
多かったのではないでしょうか?
けれども
「感情」は脇に押しやったり
見ないように蓋をするのではなく
見つめた上で
どう扱うかを選択していくこと…
その「術(すべ)」を学ぶことが
大切なのではないでしょうか。
「条件づけ」からの解放
自分が「感じ取っていること」を
しっかりと見つめるためには
囚われている心を
まず解放しなければなりません。
ここで声を上げてはならない。
そうすると「列車」にぶつかってしまうから。
だから「身動きができない」と思っている
そんな自分を手放すことが
必要なのではないでしょうか?
牡羊座11度の「支配者」=「長いもの」に
盲従している自分こそが
実は道化師(ピエロ)ではなかったでしょうか。
本当の自分を隠して
笑っているのをやめ
勇気を持って
「しかめっ面」をしてみることも
時には必要かもしれません。
蟹座11度のピエロは
自分自身のつまらない習慣や
振る舞いを笑い飛ばし
無駄なものを吐き出す
ことで
社会に対して批判しているように見えて
実は
自分の中にある「条件づけられた心」
を手放して
自由にしようとしているだけなのです。
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
本当は
自分を閉じ込めているのは
じぶん自身なのかもしれません。
牡羊座11度の
「国家の支配者」とは
実は「独裁者」のことではなく
単に自分の心のままに
欲しいものを欲しいと言っている
子供のように
単純な人のこと
だったのかも…。
それに見習って
恐れを手放し
素直な気持ちで
自分をさらけ出してみることも
時には必要だよと
促されていたのかも…
では
もしもそうした
「条件づけられた心」を
手放したなら
その先には
何があるのでしょうか?
【水のエレメント】の向こう
ちょっとした「違和感」や心の「ざわつき」
そういったものを「感じた」とき
それは
ずっと奥の方にしまいこまれている
「記憶」のようなものの琴線に触れる
可能性が高いです。
例えるなら
心の奥で
ノックされることを
待ち望んでいる「ドア」。
誰かに出会い
関わってゆく中で
(それは実在の人物でなくても
音楽や文章や絵など
誰かの作った創作物のこともありますが)
呼び覚まされる「感情」は
それに気付くためのドアベル。
その音色が
「こころ」の琴線に触れたとき
耳を澄ませば
ドアの奥にしまいこまれた
あなたがほんとうに「大切にしたいもの」に
思い至ることでしょう。
そして
目に見える身体に在るだけでない
「魂としての自分」に
出会っていくのではないでしょうか。
そのとき、あなたから
「魂の周波数」の波が生じ
目の前にいる「誰か」が
あなたの波長に共鳴します。
そこに生まれるのが
本当の「共感」ではないでしょうか?
そんな「共感の創造」を学ぶこと…それが
蟹座のシーズンの
真の意味なのかもしれません。
本日も最後までお読み頂き
本当にありがとうございました
本日の記事が気に入って頂けましたら
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