蠍座満月のサビアン*蠍座8度*心の鏡に月を映して引き寄せる現実を変えてゆこう

 

2021年4月27日蠍座満月です。

 

サビアン・シンボルは

蠍座8度「湖面を横切って輝く月」です。

 

何て美しい光景なのでしょう。

 

どこからかドビュッシーの「月の光」を奏でる

ピアノの音色が聞こえてきそうです…。

 

どこまでも拡がる静かな夜の湖。

 

その湖面には、漆黒の夜空に輝く

 

大きなまんまるの月の光が

 

優しく光を落しています。

 

 

静かにさざめく波が、

その光をチラチラと反射しています。

 

あなたはその情景を

見晴らしの良い丘の上から

見下ろしています…。

 

陰陽五行には「干合」という

特別なご縁を表す

組み合わせがあるのですが

 

その中に

「壬(みずのえ)」=大きな湖(や大河や海)

「丁(ひのと)」=ロウソクの光

という組み合わせがあります。

 

「丁(ひのと)」とは

【火の気】=光り輝くもののうち

陰陽で言えば「陰」の氣。

 

ですから

月の光にも

通じるところがあると思います。

 

壬と丁の干合は

湖面が焔の輝きに照らし出されて

神秘的に映し出される様子を

表していると言われます。

 

「叡智(えいち)」

=物事の深い本質を表す

知恵の象徴とも言われます。

 

それではここで言われている

「叡智」とはどのようなものでしょうか?

 

それは湖がただただ

月の光を「あるがままに」映し出している

ということではないでしょうか?

 

あたかもクリアーな輝きを放つ水晶のごとく

光をただ受け入れて反射している。

 

静かに、ただ「受け入れる」。

 

受容性のエネルギー。

 

今から10年ほど前。

 

私はとある地方都市に住んでいました。

 

高層階のマンションでしたが

 

そこからはマンションのすぐ側を流れる

 

川の流れを見下ろすことができました。

 

その当時はまだ子供も小さく

引っ越したばかりの見知らぬ土地で

 

まだまだ辛いこと、苦しいこと、

思うようにいかないことばかりの

毎日だったわたし。

 

悩みを打ち明けらるほど

親しい友人がいたわけでもなく

 

いたたまれない思いの時には

よくバルコニーに出て

その川に映し出された月を見ていました。

 

頭上の月と

川に映る月。

 

表に出ている自分と

誰にもわかってもらえない

自分の心。

 

そして月という

まるで過去生からの私を

知っているかのように

 

眺めると変わらずに

いつもそこにいてくれる光。

 

けれどある日マンションのエレベーターで

たまたま出会った方が

ランチに誘ってくださいました。

 

そのお店に飾ってあったのが

次のような言葉。

 

恐らく漢詩の一説の訳でしょう。

 

「寒流帯月澄如月」

「寒流月を帯びて澄めること鏡のごとし」

 

調べたところ

中国の詩人白楽天の詩の一説のようです。

 

宮本武蔵が木刀に掘って戒めとしていたとか。

 

勝海舟も

「明鏡止水」

「曇りの無い鏡と澄んだ水面のように、

安らかに落ち着いた心境」

という似たような言葉を残しているそうです。

 

「もう一つの声」さんより)

 

 

「寒流月を帯びて澄めること鏡のごとし」

 

私の心を包み込んで

慰めてくれるような

月の光。

 

当時私も月を見る時だけは

心を空っぽにすることが

出来たように思います。

 

月の見ている

悠久の時の流れの中では

自分の悩みなどちっぽけなもの。

 

いつか行き過ぎてゆくもの。

 

それから長い年月が経ち

本当に今は

ずっと毎日が

落ち着いた心持ちで

過ごせるようになったと感じています。

 

例えば一例を挙げるなら

 

あの頃の私は

誰かの話を聞くたびに

心の中に

「だって」と言う言葉が出てくることが

多かったと思います。

 

「だって、それは○○でしょう。」

「ふつうは△△でしょう。」

「~なら~すべき」「こうあるべき」…etc.

 

なのにどうして…

 

そんな思いが心に溜まっていたように思います。

 

それが「濁り」となって

私の心の中の湖面は乱れ

美しい月の形を映し出すことができなかった。

 

何かを「ジャッジ」する時には

ある一定の方向から

物事を眺めていることが多いもの。

 

けれども

「こうあるべき」という

「基準」をいったん脇に置き

あるがままの月の姿を受け入れる時…

 

本当は世界にはあらかじめ

たくさんの祝福が

用意されているように思います。

 

 

例えば花を生けた花瓶の水が

清らかで美しい水ならば

美しい花咲かせ続けることが出来るように。

 

でもその水が濁ってしまえば…

花も枯れてしまうように。

 

月を映し出す湖面のように

この世界の出来事を受け止める

清らかな泉を心の中に

いつも用意しておけるようにしたい…

そんな風に考えられるようになりました。

 

心の中に

美しい水を一杯にたたえた泉が

「鏡」となって

 

私たちの世界の外側

つまり現実界に

美しい出来事を

映し出してくれるのではないでしょうか。

 

溢れんばかりの水をたたえ

光を受ければ鏡のように輝く「水盆」を

心の中にイメージしてみましょう。

 

 

清らかな水で一杯に満たされている心。

 

そのためにまずは

自分の想いや感情を浄化すること。

自分自身を赦すこと。

多くの傷を手放すこと。

 

まっさらな心に近づけるよう。

 

ゆっくり

ゆっくり

少しずつ…。

 

 

”判断するということは

観察や受け入れを中止するということ“

 

 

“心を空白にしておくことで

水面に浮かび上がる影が様々なメッセージを伝えてきます“

 

“心を静かにして浮かび上がってくるものを待つことで

さまざまな「真実」をつかむことが出来る人です。“

 

(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)

 

当時の私のこの日の日記には

白楽天の詩の一説のような

川に映った月を眺めながら

こんな言葉を書いていました。

 

“何の色も持たずに

光をただ受け入れて

反射している水晶のように

 

そんな石のありようを見ているうちに

自分の心が透き通ってゆく“

 

あなたも今もし辛いこと

行き詰まっていることがあったなら

 

空を見上げ

月の光を受け止めてみてくださいね。

 

月はずっと昔から

あなたの事を知っています。

 

そしていつも

あなたのことを

見つめてくれているのです。

 

そこに映し出したあなたの心を

受け止めてくれているのです。

 

だから今晩は

あなたが

月の光を

受け止めてあげてくださいね。

 

まっさらな心で。

 

 

サビアン×陰陽五行×潜在意識
=自己価値発見・開運クリエイター*

宮代 彩也乃(みやしろあやの)

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