魚座1度「公共の市場」*存在の多様性を受け入れるために
2月20日前後の太陽のサビアン。「1度」はそのサイン(星座)の性質を最も象徴する度数とされます。2023年3月7日土星が魚座に入りました。土星はそのサインの「課題」に取り組むよう促す天体です。約2年と8か月の土星魚座期に、私たちが取り組むべきテーマについて「魚座1度」のサビアン・シンボルから考えてみたいと思います。
「魚座」が目指すものは
ホロスコープの12星座は
ひとの「意識の成長段階」を
表わしていると言われます。
「魚座」は
12星座のうち1番最後のサイン。
1年かけて
それぞれの「サインの性質」を学び…
これまでのサインで体験してきた
全てが統合化され
人間という存在の
最終的なエッセンスを取り出してゆきます。
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
”人間という存在の最終的なエッセンス”
…とは何でしょうか?
私のまったくの個人的見解ですが
それは「意識のレベル」とも
言い換えられるのではないかと思います。
陰陽五行でも
木⇒火⇒土⇒金⇒水という
一年の季節を一回りすることは
ある意味
意識が「ひとつ上の段階」に上がること。
同じように
ホロスコープの12サインも
一回りすることで
意識が「ひとつ上の段階」に上がる…
と考えられます。
ですので魚座は
「最初に生まれた時の牡羊座」の「意識」から
「次に生まれてゆく牡羊座」の「意識」へと
レベルアップする最終チェック…
のようなサインと思います。
「意識」のレベル・アップとは
「意識レベル」とは
ホーキング博士の著書
「パワーかフォースか」
で提唱された言葉です。
こちら
のサイトにも詳しいです。
上記のサイトでは
「大量消費・大量生産」より
「自然に近いもの」が
意識レベルが高い…とされています。
私の印象では
物質的な地上の価値観から
より身体や感覚を通り越した
魂的な価値(愛や光)へと
移行してゆくのが
「意識レベル」のように
感じています。
魚座と言うのは
こうした地球的(地上的)な価値観を
魂(たましい)や
集合無意識といったところへ
連れてゆくようなサインと思います。
仮にここでは
魚座の目的が
新しいサイクルの手前で
「意識のレベル」を
ひとつ上げておくこと、とすると
次の
3つのステップ
を踏むのでは…と思います。
それでは順番に見ていきたいと思います。
【水のエレメント】としての魚座
魚座はホロスコープの四大元素では
【水のエレメント】に属します。
【水のエレメント】は
そのままでは形をなしえません。
ですのでタロット・カードでは
「カップ」に入った状態で
表わされています。
「水」にとっては
「居場所」がなければ
自分の存在の「ありか」が
決定されません。
ですので
【水のエレメント】と
仲の良いのは
【地のエレメント】。
「地=土」で
囲われることで
存在のベースが決まります。
けれども…
【水】の本質は
本来は流れるもの。
ですから
【水のエレメント】にとって
この有難い「境界線」という
「器(うつわ)」は
別の角度から見れば
「一つの価値観」に鍵をかけられ
ダムのごとく
せき止められている状態…
とも言えそうです。
【水のエレメント】の3星座のうち
最後のサインである「魚座」の目的とは
ある意味
この自分が収まっていた
「ダム」を取り壊し
もっと「大きな流れ」へと
融合させること…
という見方もできそうです。
「心の交流」
また「魚座」の【水のエレメント】は
「感情」も表します。
そして「感情」は
人と人との「心の交流」を促します。
魚座は
「共感力」「同調力」の強いサイン。
何せ人と人との
「境界線」を取っ払っていこうと
しているのです。
「垣根」が取り払われれば
もっと人と深く関わったり
同調したり
心と心で交流したり…
がしやすくなりますよね。
例えば「心の交流」を妨げるものとして
「他人への不信感」
があると思います。
「不信感」は
自分と人との間の「境界線」を
ますます強固にしますよね。
それが強くなれば
その中に引きこもることも…。
すると外からは
わたしたちの「心」も
見えなくなります。
そしてがっしり固まった
「境界線」の中では
【水】は流れをせき止められ
淀んで汚れてゆくでしょう。
それは逆に自分自身を
攻撃してゆくものになります。
誰も信じられなくなることは
何より自分自身が
信じられなくなってゆくこと。
ウツや
身体の不調となって現れたり…。
ちょっとしたきっかけで
このような「ダム」に
心を閉じ込めることは
多かれ少なかれ
どなたにも経験があること
なのではないでしょうか?
それではこの境界線を溶かすには?
それはほんの少しだけ
ダムから水を沁み出して
誰かの「心」に触れること。
ダムに少しでもひび割れが入って
もう一度
誰かの「こころ」に同調できるなら
ちょろちょろしみ出した流れが
やがて
ダムの決壊に繋がることも
あり得ないことではありません。
他人との境界線に
立ちはだかっていた
区別や分離。
それは自分の心の中の
「思い込み」でもあります。
そして大抵
私たちを
そんな思い込みの中に
引きこもらせる原因は
自分に向けられた
誰かの「思い込み」の壁。
ひととひととの「絆」とは
そんなそれぞれの
「自分の価値観」を
いったん全部放り出し
明け渡すこと。
魚座1度「公共の市場」
今回のサビアン
魚座1度「公共の市場」では
いろいろな種類の品物が
「雑多に」並べられています。
この「雑多に」というところが
ポイントなんです!!
つまりスーパーの陳列棚で
野菜や果物
お肉
お魚
調味料…
パンやお米
牛乳やヨーグルト…
そんな風に「分類」されて
御行儀よく座っていた品々が
「特売セール」みたいな
カートに移されて
○○時までのタイムセール…
という具合に
あれもこれも
ごちゃごちゃに
投げ込まれているイメージ。
各サインの1度という度数は
そのサインの最も強い性質を
端的に表しているとお伝えしましたが
魚座の性質とは
このように
「この棚は野菜の棚」というルール
を飛び越えてゆくもの。
これを「ひと」に置き換えてみると…
「あなたの価値観」の壁も
「相手の価値観」の壁も
溶かしてゆく…。
つまり
「○○」は「●●」の象徴だから
イコール誰々は「●●なひと」
といった信念や偏見=「バイアス」は
そこには存在しません。
「差別」や「思いこみ」といった
人と人との間の「垣根」が
なくなってゆくのです。
「価値観の多様性」の大切さ
さて「意識レベル向上」の
ファースト・ステップは
「価値の多様性」に触れる
でした。
魚座1度の「公共の市場」に
並べられている「商品」を
「いろんな人びと」に
置き換えてみましょう。
ひとは人との関りの中で
いろんな「経験」をします。
その「経験」は新たな「感情」
つまり
「今までに感じたことのない感情」
を呼び起こすことがあります。
誰かに出会うことで
それまでには知らなかった「感情」に
出会うのです。
「世界に一つだけの花」という
SMAPさんの名曲がありますね。
この歌にある
お花屋さんの店先のいろんな花…
そんな
ひとそれぞれの「価値」を
認められるようになるためには
このように
「いろんな人々が存在する」
ことを目の当たりにしたことで
自分の中から
「新しい感情」が
湧き上がってくる体験
をしたときではないでしょうか?
同じタイプのひととだけつき合っていると
そこで暗黙の了解で通じる
価値観だけが「絶対」で
そこに合わない価値観は
「悪」のように感じてしったりすることも
往々にして起こりがちですよね?
けれどもこの「公共の市場」のように
最初からいろんなタイプの人々が
雑多に存在している中で育ったら
あんな価値観もあれば
こんな価値観もある…
と「多様性」を受け入れることが
できるのではないでしょうか?
「ジャッジ」を手放すこと
さてその元SMAPさんのメンバー
草彅剛さんの主演作に
「ミッドナイトスワン」という
映画があります。
こちらは
ロング・バージョン・トレーラー
<
いろんなタイプのひとが存在することを
認め合うことの難しさ。
それでもその「違い」を乗り越えて
「こころ」は交流が可能であること…
それを伝えてくれるような映画です。
(特に音楽が素晴らしい!です。)
私はこちらから
「魚座1度」の世界を
イメージさせられました。
わたしたちが生きる世界には
実はいろいろな価値観や
バックグランドを持つ人たちが
いるってこと。
そのいろんな人たちとの間に
壁をつくることなく
いろんな価値観を許容していくこと。
魚座は「柔軟宮」に属するサイン。
多様な人・状況も
柔軟に受け入れることとは
目の前の相手を
良い、悪い、優れている、劣っている…と
「ジャッジ」することを手放すこと。
ジャッジとは
「ボクの価値観が正しい」…という
「たった一つの価値観」
に縛られて
「アナタのそれは悪でしょ」
…と「裁く」こと。
だからこの
「ジャッジを手放すこと」が
魚座が
”人間という存在の最終的なエッセンス”
を取り出して次に進むめの
チケットではないでしょうか?
魚座は
人間性の最終的な統合化を目指すために
特定の価値観に幽閉されている人を
その牢獄から引きずり出さなくてはならない。
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
つまり「意識レベル向上」の
セカンド・ステップである
「一つだけの価値観」を手放す
です。
「意識のレベルアップ」と「俯瞰力」
さて、「ピラミッドの4辺」は
「四大元素」を表わしている
という説があります。
火と水と地と風
4つの「視方」を
獲得することで
その上の段階
つまりピラミッドの頂点から
見下ろすように
鳥のような「俯瞰力」を身に着ける…。
そのように
ものごとを一段上から見ることは
様々な角度から見ることに繋がります。
それは「意識レベル向上」の
最終ステップである
「鑑識力」を身に着ける
→→つまり
「本当に大切なこと」を個々人で判断する
ことに繋がると思います。
「独自の鑑識力」を育む
魚座1度の「公共の市場」
で言えば
そこでは恐らく
もともとあった「値段」さえ
通用しません。
バーゲン・セールのカートのように
「う~んこの値段なら
賞味期限が明日まででも、まいっか」
…と
「買う側の判断」
がますます際立ってくるでしょう。
このような「独自の鑑識力」は
「多様性」に飛び込み
それを受け入れることから
生れてくるものと思います。
ピラミッドの「四大元素」は
ホロスコープの12サインを廻る中で
獲得されてくるもの…
とも考えられます。
4つの異なる視点を持つには
さまざまな人に逢って
さまざまな経験をし
さまざまな感情を覚えた…
ことと思います。
四大元素の経験を積んで
ピラミッドの頂点という
「バランス」を手に入れることで
やっと、「本当に大切なこと」を
見出せるようになるのでは
ないでしょうか?
「多様性」を受け容れる
それでは魚座が見ようとしている
「本当に大切なもの」
とは一体何でしょうか?
例えば来ている服がどうだ
髪の色がどうだ
肌の色がどうだ
年齢が
職業が
という
その人が属する社会通念としての
「常識」という
「ジャッジ」を脇に置いて
魚座はその向こうにある
「ひと…という存在そのもの」
に目を向けているのでは
ないでしょうか?
どんな存在にも
存在そのものに
「絶対的な価値」があること…
さらに「身体という物体」
の奥に潜んでいる
「こころ」や「感情」
さらに
「たましい」や「エネルギー」
もしくは「氣」…といったものを
まっすぐに見つめ
「存在」そのままを
受け入れること。
そして
手を繋いでゆく。
境界線という壁を超えて
心や魂が繋がってゆく…。
それが
魚座がほんとうに
目指すものなのではないでしょうか。
「水瓶座時代」は「魚座1度」へ向かう
「水瓶座時代」と言われる
「水瓶座」のサインは
「自分は自分」
「ひとはひと」という
それぞれの
「存在価値」を認めながら
空間を超えて共鳴し
ネットワークを創ってゆきます。
魚座はさらにそれを融合させつつ
最終的にはまた
一つ一つの「魂」に切り分けて
牡羊座という「身体」に送り込むのです。
けれども
【地のエレメント】で強調されていた
「今ここ」に縛られた「地上の空間性」
を超越したところの「存在」
に目を向けるのは
水瓶座にも魚座にも
共通のテーマと思います。
飾りのないそのままの「あなた」で
例えば私たちが日常
よく陥ってしまう罠として
「何か」をしてくれたら
「愛」を与えるよ…
ということがあると思います。
例えば
自分の子どもに
「○○をがんばったら、●●を買ってあげる」
など…私も母親として
よく言っていた言葉
けれども
それを聞いた子どもは
「ボクは○○を達成しないと
お母さんに愛してもらえないんだ」
と思ってしまうでしょう。
この○○は実は
私たちが子どもの時にも
きっとそう育てられていて
私たち自身の意識の中にも
巧妙に仕組まれていると思います。
でもそれは実は
【地のエレメント】の「社会」そのものに
仕組まれていた
「わな」なのかも…?
例えばあなたの身近な誰かが
あなたに
「○○ができない…」
と責めるのは
その方の
心や魂が言っているのではない
と考えてみてはいかがでしょう?
そのひともまた
そのひとの生きてきた道のりの中で
親や先生や
周囲のひとや
テレビや何か
つまりその人を育んできた
「環境」や「社会」が
そのひとに「植え付けた」価値観が
そう言わせているのだと…。
つまりそのひとの放つ「価値観」と
そのひと「自身」とを
切り離して考えてみるのということ…。
するとまるで抑えつけられているような
大きな存在であった相手のことも
「少し小さく」
見ることができるのではないでしょうか。
彼らを許すことも
できるのではないでしょうか。
すると不思議なことに
ぎくしゃくしていた「関係」さえ
絡まった糸がほどける様に
すっと解消してゆくことがあります。
また実は私たち自身が
これと同じことを
自分に向けて行っていることも
多いと思います。
本当のじぶんは置き去りにして
「○○でなければならない」と
誰かから与えられた「価値基準」に
こころをさらわれ
その「価値基準」に到達できない自分を
責め、思い悩んでしまう…
そんな時には是非
今回の
魚座1度のサビアン
を思い出してみてください。
世の中の「価値基準」は
一つではないということ。
一つの「価値基準」に縛られることなく
いろんな価値があることに
目を向けてみよう
と。