牡羊座17度「二人のしかめつらした独身女性」*鏡の中の自分に向き合う
4月24日蠍座満月の水星のサビアンです。4月6日前後の太陽のサビアン。「積極性」を表す牡羊座に対向の天秤座の資質が入ることで「内省」を促すシンボルです。
「しかめつら」の意味
「しかめつら」とは
ちょっと独読な表現ですが
英語では
“prim”
堅苦しく
上品ぶる
きちんとした…
ちょっと「すました態度で」
のイメージ
ルディア訳では
「婚期を過ぎた
未婚の高貴な女が2人
沈黙して座っている」
となっています
「熱い」「情熱的」
「男性的」な
牡羊座とは正反対の
「静か」「冷静」
「女性的」な雰囲気が…
つまり
「男性」=「陽」と
「女性」=「陰」の
組み合わせでなく
「女性」=「陰」と
「女性」=「陰」の組み合わせ
をシンボルに据えることで
徹底的に
「内向き」のエネルギーを
活用してみることを
促されているようです
男女ではなく鏡に映る自分自身。
世俗的な発展や幸福を拒否した姿だ。
(松村潔先生「神秘のサビアン占星術」)
「外側にある」幸福
「世俗的な発展や幸福を拒否する」
とは、言い換えると
自分の夢や理想を
「外側」に求めなくても
「自分の内」に
手に入れることはできないか…
と言い換えることも
できるのではないでしょうか
私たちは常に
「外部」の「いろんな誘惑」に
さらされています
例えば
私達に「素晴らしい幸せ」を
定義づけてくるようなものが
毎日目にしている「広告」
ではないでしょうか
人は1日に6000個の広告を
目にすると言われております。これは、江戸時代の人たちが
1年で目にする量に匹敵する
と言われています(「うま~い広告に引っかかる女性たち」さん BHP出版)
けれどもそうした「広告」は
私たちの「幸せになりたい」
意欲をドンドン刺激してくるけれど
それがほんとうの「自分の幸せ」に
合致するとは
限らないのではないでしょうか?
そこで
この女性たちのように
徹底的に「自分自身」に
向き合うことで
見えてくるものも
あるのだと思います
「ほんとうに欲しいもの」は?
彼女たちはそうした
「本当に欲しいもの」を
「自分自身との対話」の中で
見出していこうと
しているかのよう…
結局私は
何を欲しているのか?
「本当に望んでいるもの」
はなんなのか…?
それを満たすために
ほんとうに
必要なものは何なのか…
彼女たちはそれを
「内側に向かう」ことによって
見極めようと
しているのかもしれません
だって私たちは
「自分が本当に欲しいもの」を
理解できなければ
それを「満たす」ための努力
もできないし…
すると
「真の満足」も永久に手に入らない
ままになってしまうのです
内面との対話
だから
ここに登場している
「2人の女性」とは恐らく
「外側に見せている自分」と
「内側に潜んでいる自分」…
の「2人」であり
実は「一人の女性」の
表と裏の姿
なのではないでしょうか?
つまり
「外側に見せている自分」が
自分の中の「陰」の部分
→→「鏡の中」の
「内側に潜んでいる自分」を
見つめている様子を
表しているのではないでしょうか
そして
ここで必要になって来るのが
「内側の対話」です
例えば私たちが
何かをやろうとしていた時
障害が現われて
前に進めないとなったら…
ほんとうに
イライラしてしまいますよね★
けれども
そういった事態の時にこそ
この女性は
それを無理やり
取り除こうとするのでなく
自分の心の中を
果てしなく
徘徊してみるのでしょう…
自分のしようとすることに対して
妨害や障害が生じた時に
置かれた状況の全貌を掴むべく
内面の対話に時間を費やし
あまり行動的ではありません。
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
時には心が枯れてしまったように
何をする気にもなれなくなって
しまうことも
あるかもしれません
けれどもそうやって
「活動的な自分」を
いったんストップして
「内に籠る」ことで
自分の心を客観視したり
失敗したと思えることの
原因を分析してみたりすることは
決して無駄なコトではありません
自分を「受容する」ということ
特に大切になってくるのが
そうやって
「自分の内側」を見つめてみることで
浮き上がって来る
あまり「よろしくない」感情たちにも
向き合ってみること
なのではないでしょうか
普段は見たくなかった
スルーしていた
ドロドロした感情…
はたまた
「恐れ」や「不安」
「ストレス」といった
ネガティブな要素…
そうしたものたちが
自分の無意識の
深いところに溜まっていたのだ
ということに気付き
愕然とすることも
あるかもしれません
けれども
自分が知らず知らずに
内面に抱えていた
そうした感情に
気が付くことができてはじめて
そうした感情を
受け入れることのできる
フェーズに
入ってゆくことが
できるのではないでしょうか
つまりこのシンボルの象徴する
「女性性」=「受容力」とは
「外にあるもの」や
「自分以外のひと」に
向けられているのでなく
そんな
「鏡の中のもうひとりの自分」を
「受け入れる」こと
であるとも言えそうです
「浄化」のチカラ
そして
「自分を受け入れること」とは
自分自身の「浄化」にも
繋がるのだと思います
ネガティブ感情たちが
それが
どんなに格好悪くても
あまり見たいと思わないものでも
「飾らない真のじぶん」
のところを見つめ
「あー私にもそういう気持ちがあったのね」と
「受け入れてみる」ことで
初めて
「手放していくことができる」
フレーズへ入っていくことが
できるのだと思います
「手放すべきもの」を見つけ
受け入れてみること
そして
「受け入れること」とはそのまま
「手放す準備が出来ている」こと…
気持ちが整理され
統合されてくることで
そこに「浄化」が起こります
気持ちが浄化されてくることで
今度こそ
私たちが
「本当に欲しいもの」も
立ち現れてくるのだと思うのです