蟹座4度「ネズミと議論する猫」*立場をいったん脇に置くことで見えてくるもの
6月25日前後の太陽のサビアン。今回は、本来ネズミを捕って食べてしまうこともできるネコが…そんな自分より体の小さい「ネズミ」と「議論」するというシンボル。「議論」するという言葉からは両者が対等な立場にあっていることが連想されます。
ネコとネズミ
本来ネズミを捕って
食べてしまうこともできるネコ。
そんなネコが
「自分の強さをひけらかすことなく」
「その他大勢」のネズミに寄り添って
同じ立場に立って
話しを聞こうとしています。
ネズミに対して
「優位に立っている」立場
やその立場に立った
「個人的な主張」を
ぐっとこらえています。
それはある意味
自分の中にある
「自我(エゴ)」との闘いとも
言えます。
心の中では
自分の意図に沿った発言しか
認めるもんか…
そんな意識が
見え隠れしているかも…
けれどもそんなエゴは
おくびにも出さず?
うんうんと話を聞いているネコ…
ネズミたちが
共有している「価値観」を
きちんと把握するため
まずは自分の「主張」を
自分の内に留めてみます。
「衝動」に流されない
蟹座は「集団」を形成することが
テーマのサイン(星座)です。
人は何故「集団(グループ)」を
作るのでしょう?
それは「一人」では成しえないことを
成してゆくため。
そのために
「自分」の能力を高めていく
双子座の領域から
「集団」に”溶け込んでいく”
ことを学んでゆく
蟹座の領域へ。
だからここで
必要とされているのは
「他者とのかかわり方」の見直し。
関係性の再構築。
それによって
自分が所属する
スモールグループの中で
新しい仲間と
新しい目的に
向かって行くことができます。
だからまずは
ネズミたちがどう感じ
何を思っているのかということに
理解を示そうと
精一杯努力しているネコ。
強い立場を押し出し
自分の意見を
振り切ってしまいがちなところ
感情を抑え
相手のキモチを想像して…
自分の「理想の未来」へ
向かうためには
このネズミさんたちと協力し
力を合わせていかなくちゃ。
そのためには
本能から湧いてくる
ネズミを食べたくなる衝動に
捕まらないように
しなくっちゃ…。
抑えて、抑えて…
そして彼らと
冷静に
「議論(話し合い)」することで
目的達成のために
最適な「答え」を
導き出さないとね。
ここで
大切なのは
「本能」や「衝動」に
「流されない」冷静さ。
もしもネコが
「本能」や
「衝動的な感情や情動」に
流されてしまったら…
自分でも気が付かないうちに
ネズミは胃の中です。
そして
ネコの周りには
誰もいなくなって
「集団(グループ)」を
形成するという蟹座の目的は
あえなく終わってしまうでしょう😟
私たちもついつい
あるいは知らず知らず
つまり「無意識」に
「その場の衝動」や「感情」に
押し流されてしまうことは
よくあることではないでしょうか?
今この瞬間
自分自身の「こころ」や「意識」は
どこに向いているのか
見つめてみる。
今自分の言葉や行動を
動かしている「無意識」は
自分でも何だか
よくわからないうちに
ネズミを食らうことだけに
向いてしまっていないか…
そんな風に
一歩下がったところから
自分自身を「観察」
してみることが大事だよ…
こちらのサビアンは
そんな風に
伝えてくれている気がします。
誰かに「認めてもらいたい」心
ネコとネズミとの
この「議論」の「ルール」は
少し変わっています。
ネコも
いえネズミさえも
「自分の考え、意見、主張」が
「相手より優れている」
と思ったら負け
なんです。
それはある意味
「自我」との闘い
とも言えるかもしれません。
私たちが陥りがちな
「エゴ(自我)の罠」。
それは色々ありますが
「自分の考え、意見、主張」が
「相手より優れている」
といった考えの背後には
① 「承認欲求」
② 「既存概念」
が隠れていそうです。
①の 「承認欲求」
とは
言い換えれば
「認められたい」
という願望です。
ネコが
「君たちより僕は大きくて強いのさ」
ということを
も認めてもらいたいキモチ。
けれども
考えてみて下さい。
もしネコが本当に
自分で自分を認めているなら
ネズミたちに
自分の「強さ」を
ひけらかす必要があるでしょうか?
「認めさせたい」キモチの裏には
彼らにどう関わればいいのか
わからなくて
でも彼らに(好かれたい。)
そんな気持ちが隠れていて。
でもそれは自分では認めたくない。
だから
自分の存在意義を
「身体の大きさ」や
「力の強さ」に
(現代で言えば経済力や所有物に…?)
置きかえて
けれどもそこに
何か「不安定」なものを
感じているのかも…
けれども
もしもネコが
自分のアピールポイントを
「外的要因」ではなく
もっと素直な
「素のままの自分」に
安心感を抱いているならば
「認められるため」に
虚勢を張ることは
必要なくなるのでしょう
「これまで」の正しさは絶対?
そして
② 「既存概念」
とは
「今」つまり「これまで」
「自分が正しいと思っていた事」
へのこだわりです。
心理学用語では
「ビリーフ」
等と呼ばれます。
けれども
「これまでは○○が正しい」
と思っている「正しさ」そのものは
時代や周囲の状況と共に
変わってゆくこともありますね。
自身の中に存在する古い気質が
新しい事態に対して
葛藤するありさまを暗示する。
(中略)
(今までとは)何か事態が
変化したことを予感しているために
強気に出ることができない。
(松村潔先生「神秘のサビアン占星術」蟹座4度)
「私はこれが正しいと思います。」
とあからさまに主張していない時も
私達は知らず知らず
心の中にそんな信念を持っているもの。
だって
これまでに蓄積してきた
掛け替えのない人生経験の結果ですもの。
でも実はそれが
「前に進むこと」を
阻んでしまうことも多いですよね。
ネコはネズミたちの間に入って
意見を交換しているうちに
自分の「考えの正しさ」が
実はもう
古くなってしまっていることに
気付かされるかもしれません。
じぶんウォッチング
だからこちらのシンボルは
新しい「グループ」に
関わってゆくとき
自分の「思い」が
本当のところは
どこに向いているのかを
じっと見つめてみて…
そんな風に伝えてくれて
いるのかもしれません。
「愛されたい」
「好かれたい」気持ちが
「認められ願望」に
すり替わっていないか?
自分の「これまで」の正しさが
いつもいつまでも
「絶対的なもの」と
すがっていないか?
その「正しさ」と
「自己価値」を
すり替わってしまっていないか?
それを意識したうえで
言葉と行動を
選び直してゆくことが
必要となってくるかもしれません。
自我(エゴ)の背景にあるもの
それではこのような
自我(エゴ)とは
どこから来ているのでしょうか?
もしかしたら
ネコが
そんな「強さ」に固執するのは
そこに私たちの「時代背景」や
「集合的無意識」が
隠れているかもしれません。
つまり
ネコに植え付けられている
「価値観」とは
そのネコの親世代から
受け継いでいるのかも…
そしてその親世代は
「外側の価値」に
順応するよう教育されてきたために
そこに重きを置き過ぎて
過ごしてきたということ。
そして
そのネコの親世代は
そのまたネコの親世代に…
時には理不尽な「強さ」を
ひけらかされながら…
ここで、このシンボルの
真反対に位置している
月のサビアンも見てみましょう。
月のサビアンは
山羊座4度
「大きなカヌーに乗り込む一団」
です。
この山羊座4度の属する
山羊座第一グループの
最初のサビアンは
山羊座1度
「認識を求める部族の酋長」
でした。
これまで
共同体の意志は
「トップダウン式」に下ろされ
その「強い力」によって
統一が試みられていました。
誰かが
「よし」としてきたことに
従ってきました。
そうした相手の「強さ」に押され
本当の自分を
押し隠さなければ
ならないこともあった筈…
けれども
相手の主張していた「それ」は
本当に「正しい」
ことだったのでしょうか?
もちろん
人を殺めたり
人のものを盗んだり
迷惑を掛けたり…
そういった
人としての
基本的な倫理を別にすれば
「正しさ」とは
双方の「立ち位置」によっても
変化するものが
多いのではないでしょうか。
今回のシンボルの
ネコとネズミの
立ち位置のように…。
だからもしあなたが
ネコとネズミの立ち位置を
随時入れ替えながら
両方の立場に立ってみて
試行錯誤してゆくならば
『自分の信じる領域を拡げてゆく』
ことができるのではないでしょうか。
松村先生はこちらのシンボルについて
自分を他の人と
差別化しようとしない
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」蟹座4度)
と仰っています。
「差別化」とは
「分離の意識」
とも言えるかもしれません。
「自分の考え、意見、主張」が
「相手より優れている」
と思うことで
相手と自分とを
分け隔ててしまうもの。
(実は心が求めているものは
そこにはないのに)
これから私たちが所属してゆく
新しい世界に望まれているのは
きっと、そんな「分離」のない世界。
先ほどご紹介した
山羊座4度の
カヌーに乗り込んだ人びとは
「今まで」の土地を後にして
漕ぎ出してゆきました。
時代の波にも変えられることのない
「本当に価値がある大切なもの」
を守りゆく「新しい土地」を
目指したのかもしれません。
こちらの蟹座4度のネコが
頭の中の「ビリーフ」をいったん脇におき
ネズミに歩み寄ろうとしてみることは
そんな風に時代に依らない大切な価値を
自身の内に見つけるための
初めの一歩なのかも知れません。