山羊座22度「敗北を優美に認める将軍」*道の途中…「歩み」は全部無駄じゃない
1月12日前後の太陽のサビアン。人生に「勝ち負け」はつきもの…勝者がいれば、敗者もいる…けれども「負ける」ことはまったく意味のないことなのでしょうか?このシンボルは「負ける」ことに隠された深い意味を伝えてくれています。
「受け入れる」べきこと
さて
この記事をまとめようと
PCに向かった時…
目の前のデジタル時計が
22時22分22秒を指しました。
「2」は「受動性」を表す数字です。
そう「22度」であるこのサビアンは
「受け入れる」ことを促すシンボル
何を受け入れるか…?
こちらのサビアンが伝えていることは
「敗北を受け入れる」
ことの大切さです
「山の頂上」を目指す山羊
さて「山羊座」は
社会活動での自分の立ち位置
つまりステイタスや
それを得るまでの
地道で継続的な努力を
表すサイン(星座)です
そう「山羊座」は努力家なサイン
だって「山羊」は険しい山道を
細い岩場に細い蹄をかけながら
少しずつ慎重に
上へ上へと昇っていくのです
そして…
「頂上」に辿り着いた時
その喜びはひとしおでしょう
だって
山のふもとからずーーーと
「山の頂上」に憧れて
山道をひたすら昇って来たのですから
けれども…
もしも何らかの事情で
それが叶わなっかったらどうでしょう?
「イッテQ」のイモトアヤコさんの
登山シリーズでも
あと少しのところで
天候が悪化して
やむなく下山を強いられる…
などといったシーンもありましたね
もしもここまで
たいした努力もしていなかったなら
「あーまーー仕方ないなーあはは!残念★」と
笑い飛ばすことだってできるかもしれません
でも「登山」はそういうわけにはいきません
つまり「山羊座さん」には
きっとそんなことはできないでしょう
だって…これまで
ここまでに辿り着いてくる道のりは
並大抵のものではなかったはず
来る日も来る日も
「頂上」に立つ自分を夢見て
長い長いあいだ
努力を重ねてきたのですから…
その悔しさ、無念さは
嘆いても
嘆ききれない…
そんな心境なのではないでしょうか…
因みにこちらの一つ前の
山羊座21度「リレー競争」は
いわば「勝利」のシンボルです
「チーム」で助け合い
協力し合って
全員が「一丸となって」掴んだ栄光…
けれども
「勝者」がいるということは
必ずその陰に「敗者」が存在するということ
そう「リレー競争」に例えるなら
いっとう先に「頂上」に辿り着いたチームと
あと少しの差で
先を譲ってしまったチーム…
というところでしょうか
ではここで
「負けてしまった」私たちが
しなければならないことは何でしょうか?
もちろん
「勝者」であるチームを称えること…
モチロン大切ですよね…
でもそのために
きちんと行わなければならないこと
それが
「負けを認める」
ことなのです
「敗北を認める」
私たちが道半ばで
「勝利」に至らなかったとき…
何か失敗の理由を
あれこれ挙げてみるとか
相手にあって
自分になかったこと
自分が至らなかったことを
考えてみるとか
どうすれば
こうならなかったのか
その原因を掘り起し
書き出してみることも
必要かもしれません
もちろんそういったことも
次回への反省として
大切なことかもしれません
けれども
もっと大切なことは
「負けた」という事実を認め
受け入れる事ではないでしょうか
それは
否応なしに湧き上がる
あらゆる「負の感情」に
向き合わなければならない
ということ
胸の痛み
悔しさ
無念さ
情けなさ
憤り…
そして
どうしようもない深い悲しみ…
そういった
「負の感情」を
自分が感じているということを
しっかりと見つめてあげる
こと…
何故なら
もしもそうした「負の感情」を
うっかりやり過ごし
自分の中に
そっとしまってしまうと…
いつしかそれは心の中に
「闇」の中に
「怒り」となって
残り続けてしまうのでは
ないでしょうか?
そして私たちが
次の「挑戦」をしようとする際にも
「どうせ無駄さ」と
じぶん自身への「怒り」
じぶん自身への「許せなさ」となって
新たな行動を起こすことを
妨げてしまうのではないでしょうか?
ですから
いったん
自分の「感情」を
しっかりと受け止めてみることが
大切であると思うのです
気の済むまで沈み込んでみることで
ある時ふっと
それらを「受け入れる」ことができる
そんなポイントがやってくる…
つまり
這い上がる「抜け穴」が
見つかると思うのです
それは
「今までとは違う価値観」に気付く
ということです
女性性と男性性
そうこちらのシンボルのタイトルは
「負けを優美に認める将軍」
「将軍」ですもの
今まで何度も
「勝利」の経験もあったはず…
けれども
今回は負けてしまった
「勝利」は得られなかった
けれども「将軍」はここからひとつ
とても大切なことを手に入れるのです
それが
「負けるとは、こういうことなのだ」
という「体験」なのです…
そして「感情」を味わいきることで
「負けるとは、こういうことなのだ」
という体感を
自分の中に落とし込むことが
できるのではないでしょうか
すると
「勝った」場合ではわからないような
自分の心の内側が
いろいろと見えてくることもあるでしょう
「負けた」ことで
同じような立場の人の
こころの苦しみを
理解できるようにもなるでしょう
シンボルの
「優美に」認めるという言葉が
美しいですよね
世の中には「二つの力」があるとされます
それは男性的な「積極性」と
女性的な「受容性」です
男性的な
「積極的に取りに行こうとするチカラ」
「じぶんを前に押し出そうとするチカラ」
はもちろん大切ですが
それに対し
女性的な
「受け取るチカラ」というものも
大切なもの…
表面的な「勝敗」の裏に隠された
精神的な部分や
水面下の部分
そういった「裏の側面」にも
目を向けることの大切さを
こちらのシンボルは
伝えてくれているのではないでしょうか
「負けを認める」という「体験」は
「負けを知らなかった」ときに比べ
人に「人間的な深み」を
与えるものではないでしょうか
勝負師のアドバイス
「将軍」ではないですが
プロ麻雀という
のっぴきならない現代の勝負の世界で
若い頃から「すぐキレル」など
自分の心のコントロールに悩んでいたという
土田 浩翔さん
(最高位戦日本プロ麻雀協会特別顧問)は
この様に述べられています
負けた人の気持ちを考えたこともなかった私でしたが、
認めたくない自分が次から次へと出てくるので、
カレンダーに書き出してゆきました
認めたくないことこそ書き出し、受け入れる。
自覚することが、
ウィークポイント克服への第一歩となったのです。
カレンダーによって、
負けた人たちの心の推移がわかるようになり、
その気持ちをおもんばかれるようになっていきました。
自身の恥ずべき弱さと欠点を認めることができてからは、
目も当てられなかった心の醜い部分が、
卓上に出なくなったのです。
そして負けたときにこそ、
本当の自分に出会えていたことにも気づいたのです。
失敗をしながら成長していくのが人間です。
成長のためには失敗体験が必要なのです。
「陰陽マーク」が教えてくれるもの
ここで思い出すのが
こちらのブログでもおなじみの
「陰陽マーク」です
こちらの図柄は
「陰が極まれば陽となり」
「陽が極まれば陰となる」
ことを示しています
(ご参考)
言い換えれば
ポジティブな出来事の中にも
ネガティブがあり
ネガティブな出来事の中にも
ポジティブがあるということ
それは
「経験した出来事」への
「意味づけ」にも当てはまります
あなたが「経験した」
ポジティブな出来事には
本当にポジティブな側面しか
なかったでしょうか?
あなたが「経験した」
ネガティブな出来事には
本当にネガティブな側面しか
なかったでしょうか?
どんな出来事にも
この「陰陽マーク」のように
ポジティブな側面も
ネガティブな側面も
「両方が」存在しているのですよね
けれどもそこにどちらか一方の
「意味づけ」しかしていないとき
私たちはものごとの
片面からしか
光を当てていないことになります
「価値観」の外に出る
ですから「敗北を受け入れる」ことで
私たちは
もう一方の側面から
物事を見る「視野」を
手に入れることができます
そう、「感情の抜け穴」とは
「価値観の抜け穴」でもあるのです
「勝つことだけが」と称賛する
「価値観」の外に出る
「抜け穴」を教えてくれるのです
集団社会において
(山羊座21度「リレー競争」に象徴される
企業間の争いのような)
「目に見える闘い」に勝つ
努力をするということは
「その競争を支配している価値観」
に自分も縛られることを意味します。
つまり「精神面では敗北している」
ということにもなり得るのです
(この度数で)「将軍」は
戦いに負けることと引き換えに
「表面的な勝ち負け」から降り
「精神的な意味での勝利」を得るのです
より優れた基準を提示できる人とは
こうした「敗北者」であり
「異なる価値」を身を持って示した人なのです
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
つまり「自分が今までいた立ち位置」で
標榜してきた「価値観」だけが
「すべて」ではなかったことに
気付くきっかけを与えてくれるのです
「後ろに置いてきていた私」と再会する
「ある価値感」を
ずっと追い求めてきたために
そこに「後ろに置いてきたわたし」
がいたといいうことを
思い出すこと
そんな「見失っていたわたし」
にもう一度再会する機会を与えてくれる
ということ
そうした
「後ろへ置いてきた私」というものを
表しているのが
タロットカードの
2番「女教皇」です
このカードで描かれている
女教皇の後ろの日本の柱は
B=BOAZ(闇)
J=Jachin(光)であるとされます
つまり「全体」を構成するのは
「闇と光」の二元性です
どちらか一方では
「世界」は片手落ちなのです
「将軍」という言葉に
表されているような
「勝利すること」
「権力を得ること」
は「一部」の価値観であり
「全体」ではないということです
繰り返される「覇権争い」
私の周囲ではいっとき
「個々の価値観のズレ」からくる
「権力闘争」「覇権争い」に近い出来事が
起きていたことがありました。
時どき起こる
こうした「煩わしい出来事」というものは
大抵自分の中の見たくなかった部分を
炙り出しているものです
どうも私の「隠れたところ」に
そうしたものへの
コンプレックスが潜んでいたようなのです
ある時私は
過去生を見てもらう機会があり
中世の騎士のような男性である
「私」が
敵陣に倒され落馬して
無念にも亡くなっていく…いう
シーンを語られました
「騎士」は故国に、愛するひとに
「自分の力を認めて」もらいたくて
精一杯に頑張ったのに
敵を手中に収められず…
故郷に待つ
愛する人の元に
帰ることが叶わないばかりか
「敗者」として
不格好に落馬した自分を
彼女の脳裏に
焼き付けてしまったに違いない…
それどころか
守ろうとしていた故国は
敵の手に墜ち
自分の落ち度
自分の至らなさのせいで
自分のみならず
故国までもが
「敗者」となってしまう…
きっと騎士の「私」は
そんな風に考えながら死んでいき
死んでも死にきれない
思いだったのではないでしょうか
きっと
女教皇が手にする「巻物」の
「私の記憶」のページには
そんな「無念」という言葉にも余りある
「私(騎士)」の思いが
ずーーっと刻まれていたのでしょう
そんなわけで
私の周囲ではいつも
そんな「無念」を晴らしたいと試みるような
「覇権争い」のようなシーンが
繰り返されていたのかもしれません
「覇権争い」の背後にあるものは恐らく
「どちらかだけ」しか見えない意識…
けれども
こちらのサビアンシンボルは
私の中の「騎士」の記憶に
「負けるという経験も一つの価値」
であることを
伝えてくれたような気がします
宇宙は「経験」を必要としている
これまでのブログの中で何度か
「宇宙は経験を必要としている」と
いうお話をお伝えしてきました
「生まれ変わっても永続する魂の学び」
においては
個々の魂がひとつひとつ
「体験」を積み重ね
「感情」のバリエーションを
増やしてゆくことで
私たちを包む
大きな「宇宙」にとって
「エネルギーの糧」となり
何よりの「創造の源」となる…
何人かの
スピリチュアリストの方のお話を伺うことから
私はそんな風に
この世界をイメージしています
だから
私たちの
どんな小さな経験も
「この世界」にとって
かけがえのない「財産」なんです
そしてその「体験」という「過程」
言わば「道の途中」こそは
私たちが私たちの中の
「気付かなかったもう一人の自分」を
発見するチャンスなのです
そして
「勝ったこと」への努力と
「負けたこと」への内省で
得られた気づき
「勝利」と「敗北」という
二つの「経験」からの学びに対し
次のサビアンで
「戦いの後のごほうび」が与えられます
山羊座23度 「戦争での勇敢さをたたえる2つの賞 」
つまり「敗北」も含め
さまざまな「経験」を積むことで
より「高次の視点」に至ることが
可能になるということではないでしょうか
これからの時代に私たちは
こうした高次元の意識に添って
生きていく決意をすることが
求められているような気がします
ですから
個々人のそれぞれの「経験」から
立ち現れる「自己に向き合って」
何がしかの「真実」を見つけ出していくことが
必要となってくるのではないでしょうか
あなたが
「敗北」と思っている出来事も
あなたの「魂」の観点から見れば
それは「成功」であったかもしれない…
今これから求められてくるものは
「陰陽」マークを上から眺めるように
「分離」を「統合」してゆく心だから
だからどうぞ
マイナスに思える敗北の体験も
そこに立ち現れたネガティブな感情の数々も
大切に向き合ってみてくださいね
負けることでしか手に入らないもの
そこから得られる「気付き」こそは
本当に「かけがえのないもの」で
あるのだから