射手座22度「中国人の洗濯屋」*「日常」を慈しみ「やさしさ」のパワーで包んで
12月14日前後の太陽のサビアン。こちらのサビアンシンボルのテーマは…「自分に備わったパワーを信頼して活かしながら日々を大切に過ごす」です。またそのために「自分の中の怖れに向き合う」ことの大切さについてもお話ししていきたいと思います。
「新しい環境」の中で
射手座22度「中国人の洗濯屋」とは
アメリカに多く移民していた
中国の人びとが
ランドリーを営んでいた様子を
描いたシンボルとされています
ランドリーと言っても
当然当時は手洗い…
きっと重労働であったと思います
けれど
自分たちにできることで
「新しい環境」の中の
誰かの役に立てるようにと
背伸びせず
自分ができることを
行っていこうと…
そんなシンボルなんです
さて振り返って現代の私たちも
この数年
「いろんな変化」がありました
それはあたかも
このシンボルの「中国人」が
移民としてわたった
新しい国での生活に
少し似ているかもしれません
そうまるで
この宇宙船地球号に乗っている全員が
今までとは違う
「パラレルワールド」へ
強制移住させられたような…?
そこで
私たちは全員
多かれ少なかれ
何かしらの
「日常の変化」や
「環境の変化」を
受け取ってきました
そして皆が
少し背伸びするように
無理をして
頑張ってきたのだと思います
このシンボルは
そんな私たち一人ひとりに
今目の前にある
「日常」や
「環境」の中で
それを慈しんで生きていくことを
教えてくれているようです
もともと持っている資質を活かす
そしてまた
今回のサビアン
「チャイニーズ・ランドリー」は
異国という「新しい環境」の中で
特に目立った活躍を
するのでなくとも
淡々と「日常」を過ごす中に
「自分ができること」を
こなしているひとたちです
それぞれのひとが
「もともと持っている資質」
を思い出し
「無理をしないでできること」を
大事にしてみて…と
「中国人」の方が
「ランドリー」の資質があったのかは
わかりませんが
「いま自分にできることをまずはやってみる」
という姿勢が大切であると
言われているのではないでしょうか
それでは
あなたにとって
今いる場所で
無理なく出来ることとは
なんですか…?
いえ必ずしも
起業してください…
ということではありません
日常の中で
無理なく出来ることで
誰かのためになること
誰かの力になれること
誰かの喜びになること…
そんなことを発見してゆくことを
大事にしてね
と言われているのではないでしょうか?
「無理なくできること」を思い出す
そうそう、昔
わたし
こんなことがやってみたい…と
思っていたんだっけ
あの時は
「ハードルが高い」
と思っていたけど…
でも今考えると
それって何だかできそうかも…
あなたにも
そんな風に「やってみたいこと」
「できそうなこと」が
きっと見つかるのではないでしょうか
だって昔に比べて
パソコンやスマホ
あらゆるSNSや
便利なアプリがよりどりみどり…
ですものね
ちょっと勇気を持ちさえすれば
「昨日できなかったこと」も
「明日はできること」に
変えられるはずなのです
そう、それほど無理をしなくても
あなたがいま
「既に」できることに
ほんの少し手を加えてゆくだけで…
いつもの日々の「ルーティーン」の中で
当たり前にやってきたこと
そうしたものでさえ
あなたの中に
大きな「力」として
蓄えられているはずなのです
さあ少し視点を変えてみると
「新しい日常」の中でも
小さな風を起こしてゆけそうなことは
ありませんか?
「時代の変化」の中で
特に現在
以前と変わってきている
と言えることは
私たちは
以前ほど
周囲の思惑や
その影響の中に
がんじがらめにならなくても
良くなっているということ
ではないでしょうか
ネットの普及で
世の中には
千差万別
様ざまな意見や
考え方があるということが
どなたにとっても
「日常」となったことで
昔よりは
一人ひとりの「個性」が
受け入れられる時代に
なってきているということ
もちろん
そうでない場所
そうでない人も
まだまだ多いですけれど
「こうでなければ」という
厚い鎧(よろい)は
どんどんと
覆されていることも
また事実です
だから
「無理をしないでできること」
で私たちが
自分を満たすチャンスも
昔よりずっと
恵まれているんですよね
だからまずは
あなたの
「無理をしないでできること」を
探してみませんか…?
「わたしにはこんなことができるんだ」
それを見つけられたら
それはきっと
「小さな自信」に繋がります
すると少しだけ
肩の力を抜いて
誰かに何か言われても
「でもね、わたしは、
こういうこともできるんだもの」
心の中でだけ
そっと自分につぶやいてあげられる
そんな風に
あなたが小さな「自信」を持つことで
あなたの「意識」が変わってゆきます
あなたの「意識」が
ほんの少し変わることで
あなたに起こる現実も
少しずつ変えてゆけると思うのです
そんな風に
こちらのシンボルからのは
「日常」の中で生きるあなたを慈しみ
大切にすることからの
「生きるパワー」のようなものを
感じませんか?
「それ」は本当に必要?
こちらのサビアンのひとつ前は
射手座21度
「借りたメガネをかけている子供と犬」
というシンボル
情景をイメージすると
とても可愛らしいけれど
自分の能力を超える
「高い目標」を掲げ
ちょっと背伸びし
自分に無理を強いてでも
その「目標」や
そこに至るための知識や情報を
手に入れようとするシンボル
「21度」とは
サイン(星座)の資質が
目一杯になった度数
とされています
(松村潔先生「ディグリー占星術」)
射手座で言えば
その守護星である木星が
「理想」や「高み」に向かって
大きくなろう
拡がっていこう
成長しよう…
そんな意欲を
パワー全開に放っているような w
対して今回の「22度」は
それを少しクールダウンして
「着地」させる度数
とされます
もっと地に足を着け
現実的なところで
ちからを尽くしてみる
その中で
もともと自分が持っていたものに
目を向けてみたら
いいんじゃない…
そんな
ちょっとリラックスした
シンボルなんです
「動かせるもの」と「動かせないもの」
この「リラックス」は
スピリチュアルで言う
「サレンダー」であるとも
言えそうです
「サレンダー」というのは
「宇宙の大きな流れに身を任せる」
といったイメージの言葉です
(ライトランゲージカードさんよりお借りしました)
この世界には
残念ながら
自分ではどうにもならないことも
多々ありますよね…
けれども一方で
「気持ちの持ち方」を変えることで
動かせるものがあることも
また事実ですよね
動かせないものには
「サレンダー」する
手放して
「流れ」に身を任せてみる…
そして
自分で動かせることには
諦めない…
いわば
「陰」(受容性)と
「陽」(積極性)との
「バランス」が大切…
けれども往々にして
わたしたちは
動かせないものの前であがき
動かせるものの中で
諦めてしまうことが
多くなってしまっているのでは
ないでしょうか?
「当たり前の日常」の中で
「中国人の洗濯物」
この言葉から浮かぶのは
ビルとビルの
窓と窓との間に吊るされたロープに
ぶら下がって干されている
洗濯物のイメージ…
その時代にはきっと
どこででも見られた
ごく平凡な日常の一コマ
そんな
「チャイニーズ・ランドリー」
中国人の洗濯物屋さんとはきっと
日々同じようなお仕事を
愚直にこなしている方なのでしょう
そんな彼にとっては
当たり前の日常の中で
彼が当たり前にできていることが
誰かのためになっている
…そう、そんな風に
私たちの世界というものは
持ちつ持たれつ繋がって
頼り合っで成り立っているのですよね
だから、このシンボルの
もう一つのメッセージは
「当たり前の日常」こそが
とても大切なんだよ
…そう教えてくれていること
なのではないでしょうか
小さな「恐れ」が招くもの
さてここで
この記事を最初に書き始めた時に
あったことを
お話しさせてください
当時
私が行った「クリーニング」と言えば…
この春に亡くなった
義父の家の荷物をすべて撤去し
業者さんに来て頂いて
ハウス・クリーニングをお願いしたことです
すーっかり空っぽになって
とーってもキレイになった
(なってしまった?)家を
最後に鍵をかけ
立ち去ろうとする時…
(もうこの家は
売りに出すことが決まっているのですが)
…やっぱりいろんな思い出が
こみ上げてくるのでした
義父と言えば
私が最も苦手な人で
生きている世界が違うというか
いつもいつも私の思いが
伝わらないように感じることが
多かったです
子どもが小さいうちは
時間にも
心にも
身体にも…余裕がなくて
わたしのために
苦言を呈してくれていると
わかっていても
なかなか素直になれなかったことも
多かったです
けれども
わたしを思って
言ってくれているのは
わかっていたし
他にもいろいろと
力になって頂いたりしたことも多く
それについては
とても感謝していました
けれどもその感謝の気持ちが
うまく伝えることができず
はがゆい思いを
していたのです
伝えようとしても
向こうにも
素直に受け取ってもらえない
(おたがいさま…(笑))
それでも長い年月の中で
お互いに歩み寄り
わたし自身
「義父に対して持っているイメージ」
を変えてゆきながら
だんだんと
良い関係が築けてきてはいたのです
ただ亡くなる前には
あの時起こっていた
「新しい日常」のせいで
ご訪問するのを
控えることが多くなっていました
もっと電話でもおかけしていたら
良かったのだけれど…
忙しさにかまけて
ついつい
先延ばしになっていました
けれど数日何だか
気持ちがざわざわして
ある日
今日こそは…と意を決して?
お尋ねしたのです
…があいにく
大変ご機嫌がよくないご様子
あ~これで長居すると…
ますますご機嫌を損ねそうだな…
たまにお会いして
口喧嘩にでもなったら…
そんなちょっとした
「怖れ」から
わたしはご挨拶も早々に
引き上げて来てしまいました
まだ帰ってすることも
たくさんあるし…
また来ればいいや…
といったん
ドアを背にしたものの
階下で「いや待って…やっぱり
引き返した方がいいのでは?」
と自問自答
そんな「頭の中の声」を振り切って
その場を離れたものの…
帰宅途中もずっと
ざわざわと
「いいの?」
「ほんとうにいいの?」と
何度も何度も繰り返される
自分の声がありました
けれど迷いながらも
結局その日は
そのまま帰宅してしまったのです
そうして、
それが最後でした
忙しいと言いながらも
もう少し
あとほんの少し
気持ちの余裕が
持てていたなら…
とどまって
引き返せていたかもしれないのに…
よく一緒に食事した
食卓テーブルに
ずっと小さく
弱弱しく
腰かけていらっしゃった姿が
私の記憶に
刻まれました
「小さな日常」とは
永遠に続くようであって
決してそうではないもの
なんですよね
それをつい
私たちは
忘れてしまっているけれど…
本当は
どんな小さな一瞬でさえも
もっと慈しむことが
出来た筈なんですよね
「やさしさ」というオブラートで
包み込むように…
「ハナミズキ」に込められたもの
あの日
帰宅途中の街路樹には
ハナミズキが植えられていて
白やピンクの花が
満開だったのです
そのハナミズキを歌った
一青窈さんの歌は
過ぎ去った「平成」の時代
カラオケなどで
「最も多く歌われた歌」
なんだそうですね
ご存知の方も多いと思いますが
この歌は
この記事を書いていた9月11日の
あの事件を
元にした歌だそうです
被害にあった友人からのメールに着想を得たそうです。
「果てない夢」とは
テロによって起こった
憎しみの連鎖の終わりを願う夢なのです。
船のイメージは、
命を懸けた譲り合いについて書いているのです。
「僕は先に行くけれど、あなたは幸せになって」
そんな歌詞が
切ないですよね
そんな思いで亡くなられた方も
大勢おられたことでしょう
(犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。)
ライブでは
「 人と人とが、やさしさを交換できないものか 」
という思いを込めて作った曲。
と語られていたそう…
「やさしさ」の交換が
不完全燃焼になってしまった
わたしと義父
でも最後まで
誰の手も借りようとせず
一人暮らしを続けていた義父は
きっと
「僕は先に行くけれどあなたは幸せになって」
そんな思いをお持ちだったのだと思います
「持っている力」にフォーカスしてみる
けれどわたしは
肝心な時に
「ことば」を語ることを
一瞬の「怖れ」で
封じ込めてしまったのです
せめて最後、やさしいやり取りで
終わっておきたかった
「ありがとうございました。」
とお伝えしたかったです
そんな後悔がずっと深く
のしかかっていましたが
葬儀からあの日
家の鍵を閉じるまでは
私なりに
できることは全てやってきました
そうしてやっと
わたしのいろんな「思い」も
きっと伝わったのではないかと
思えるようになりました
終わりに
こちらの動画から
中村天風氏のお言葉を
ご紹介させて頂きたいと思います
中村天風氏は
インドの師を仰ぎ
「決して助からない」と言われた
病を克服したのち
全ての財産を処分して
じぶんが「できること」に
生涯、奔走されたそうです
わたしは力だ。
力の結晶だ。
なにものにも打ち勝つ力の結晶だ。
だから
何ものにも負けないんだ。
病にも運命にも
否(それだけでなく)
あらゆることすべてのものに
打ち克つ力だ。
どうでしょう?
わたしたちにもきっと
ほんとうは
そんな力が
眠っているのではないでしょうか?
そう思えば
何だか勇気が湧いてきませんか?
あのとき私も、もっと
「自分が持っている力」
を信じ勇気を出していたなら
「ちょっとした怖れ」を
乗り越えられていたはず
「その力」は私の中に
きっと初めから
「備わって」いたはずなんです
だからここからは
それを信じ
「かけがえのない小さな日常」を
慈しんでいきたい…
そして
これを読んでくださったあなたも
どうかあなたが
「いまあなたができること」
を前に
ためらわないで下さいね
あなたの中にも
そんな「力」が
きっと潜んでいるのですから…