乙女座11度「母親の期待の鋳型にはまる少年」*光へ向かう影の浄化と手放し
9月3日前後の太陽のサビアン。目に入る範囲のものを意識的な管理下におこうとやっきになりがちな乙女座のネガティブなエネルギーである管理力と完璧主義に再考を促すようなシンボルです。この記事では「母親」と「娘」との葛藤を軸に、親や自分自身を長い間はめこんできた「鋳型(いがた)」=「フレーム」について考えてみたいと思います。
その1: カルマの浄化
「地の時代」の「負の遺産」を手放す
「母親の鋳型にはめられた少年」とは
ちょっと「毒親」という言葉が
イメージさせられますね。
私たちには
「カルマ」というものがあって
親から子へ
そして家系にも
受け継がれていると言われます。
それは【地の時代】に積み重ねられた
地球の「負の遺産」とも言えそうです。
【水瓶座時代】に入ったいま
そうした【地の時代】の
「負の遺産」は浄化されてゆくべきとき…
新時代には
「もういらない」価値観であるなら
「手放しなさい」…と促されているよう
そのような「負の遺産」は
これまでわたしたちの
親子間の問題にも
現れていなかったでしょうか?
今回のサビアンの
「親の鋳型にはめられる」
という言葉について
考えてみたいと思います。
「安全・安心」との闘い
私達女性は
親の「価値観の押し付け」に
悩まされてきた方は多いと思います。
私もかつてその一人でした。
母親は子供に
「安全」と「安心」を求めます。
そうした「レール」の上を順調に
進んでくれることを望みます。
それはある意味「愛情」です。
けれども子どもは
そこから逃れて
自由になることを望むものです。
そして大きくなって
自分が母親になった時
自分が苦しめられて
来たにも拘わらず
自分の子供にはまた
「安全」「安心」を
望んでしまうのです。
決められたレールの上を
順調に進んで欲しい…と。
けれどもその
「安全」「安心」を望む心を
よくよく眺めてみると
その影には実は
2つの「感情」が
隠れてはいないでしょうか?
ひとつは
「抑圧された自分自身の魂」
の苦しみであり
もうひとつは
「そこから逃れようがない」…
と感じている「諦め」です。
自分は苦しい思いをしてきたけれど
願った未来は叶えられなかった
だから子供には
そんな苦しい思いをせずに
「鋳型」の中に
描かれた「幸せ」を
安全につかんで欲しい…
そうして
上位の大学
大企業
豪華な邸宅
高級車…といった
「地の時代」に結びつけられた
幸福のステレオタイプに
囚われては
来なかったでしょうか?
クッキーを焼くときは
型に流し込むことで
同じ大きさ
同じ形の
可愛いクッキーが量産できます。
それと同じように
親から自分へ…
自分から子どもへ…
「こう生きることが幸せ」という
「ワンパターンの幸福像」の
「鋳型」を継承することで
私達女性も代々
そんな「クッキーの型」のように
自分の中の「諦め」から
目をそらそうとして
来たのではなかったでしょうか?
spiritという言葉と「幸福」の意味
ジョーンズ版の原文は
A boy molded in his mother’s aspiration for him.
となっています。
Moldは
「型にはめられる」「形作る」
Aspirationは
「息を吹き込む」「願いに息を与える」
です。
ここでaspirationのspiは
spirit(魂)のspiで
「息をする」「呼吸する」
です。
Spiritの語源は
ラテン語のspiritus(息・呼吸・魂)ギリシャ語の
プネウマ(大いなるものの息)
プシュケー(霊・魂)
ヘブライ語のルーアハ(霊)などから来ています。
つまり古来
「息」
=「大いなる存在から吹き込まれたもの」
=「霊魂」
だったのです。
日本語の
「息子」という言葉は
この語源を
明確に表しているのですね。
そう考えると
地球に身体を持って降り立つとき
神(創造主)が
自分の分身として
<息>を吹き込んで
送り出した…
そのようなイメージが
浮かんでくると思います。
つまり本来
この言葉に込められているのは
「霊的な鋳型」
であるはずなのです。
息を吹き込んだ
本来の「母の元型」である
古来の女神たち
—イシスやマリア—が
願っていたのは
「より良い魂の成長」であったはず…。
諦めてしまった
「自分の魂の本当の役割」を認識し
願望を子どもではなく
「自分自身への希望」へと戻して
本来の力を発揮すること。
つまりこのシンボルの
「息子」とは
願いを叶えた
自分(母親たち)の
「未来像」にも
置き換えられるのです。
「魂の子育て」へ
「社会の期待」である
ステレオタイプの
「幸せ」像を手放し
「魂の願う自己像」
を叶える「子育て」へ…。
言わば「魂の子育て」へと
シフトすることが
求められているのではないでしょうか。
2.影の統合
サビアン乙女座10度
それではそのために
私たちがすべきこととは
なんでしょうか?
それは、ひとつ前のサビアンが
ヒントをくれています。
一つ前のサビアンシンボルは
乙女座10度
「2つの頭が自分たちの影とその向こうを見る」
(ルディア版)です。
ある日、その人は
無意識からやってきた
醜い恐ろしい姿のものに出会い
恐怖に打たれる
(松村先生「神秘のサビアン占星術」)
乙女座11度へ進む前に
必要とされていること…とは
このように、自分の「影」を
見つめることなのです。
自分の中の
<ネガティブなもの>に目をそらさず
しっかりと見つめること…
自分の内側にある
恐怖、嫉妬、羨望、ねたみ、落胆、…etc
そうしたネガティブな感情を
「ないもの」と蓋をして
抑えつけてしまうことが
問題を大きくしてゆくのです。
取り出して眺めて
あるがままに
「そこにいていいよ」と伝えてあげる。
潜在意識から
顕在意識へと引き出してくることで
「見えない恐怖」ではなく
自分の「意識」のコントロール下に
置くことができます。
そのとき恐怖は
恐怖でなくなります。
認められなくて悲しんでいる
あなた自身の一部…それを遮ることなく
そのままにしておきましょう。あなたが見つめること自体が
光となり
その闇を照らし始めます。これを続けてゆくと
闇だった性質を変え
光の成分へと変わってゆくのです。(あまね梨華さん オリオンからのチャネリング)
セルフ・コンパッション
最近話題になっている言葉に
「セルフ・コンパッション」
があります。
ありのままの自分の
ありのままの感情を
受け入れること。
そして、赦すこと。
それが出来た時
周囲の人びとも
親も子供も
許していくことが
出来るのではないでしょうか。
自分は、魂の成長途上である。
同じように
親も人間であり
成長途上であったのだ…
そう、みんな、「道の途中」。
道の途中で、クロスした、
貴重な交差点…。
そんな風に考えてみるなら
親も一人の人間であると気づき
その出会いに、あらためて
心から感謝することが
できるようにも
なれるのではないでしょうか。
3.意識の集中
願望の具現化のために
松村先生は
乙女座11度のキーワードを
「意識の集中」であると
仰っています。
自分の中の「影」を統合し
不要なものを手放すことができて
初めて
本当の「自分の周波数」に
フォーカスすることができます。
そこに意識を集中してゆく
ことができます。
手放すためには
「決意」も必要です。
ある意味
「一つに絞る」とは
「腹をくくる」ことで
あるかもしれません。
「覚悟を持って」
手放して、一つに…
あなたにとって
<本当に必要な一つ>に
絞ること。
それによって
乙女座11度の意味合いが
変化してゆくのです。
ルディア版では
乙女座11度は
「自分の赤ん坊に
息子を深く待ち望んだ気持ちが
叶えられたことを見る母親」
となっています。
ここでは「息子」は
待ち望んだ「理想の未来」へと変わり
それが既に「叶えられて」
いるのです。
それは「本当に望む未来」を
<一つに絞り込んだ>結果なのです。
そして
願望を一つに絞り込むためには
自分自身の中にある
「社会に求められる鋳型」という概念を
「自らの魂が願う鋳型」へと
「書き換えて」いくことが
必要かもしれません。
風のように…拡がる存在へ
本来魂とは「広大無辺」な
存在と言われます。
けれどもその魂は
地球の周波数に捉えられることで
この世界に降り立ちました。
地球の「鋳型」という狭い身体に
敢えて押し込めることで
沢山の経験と感情を
味わってくることができました。
けれども今、地球では
新しいストーリーが
始まろうとしています。
【水瓶座の時代】
【風の時代】へ…
先ほどのspiritの語源
ヘブライ語の「ルーアハ」には
「風」の意味もあるそうです。
【風の時代】は
より「大きな魂」で
動いていく時代とも
言えると思います。
「小さなクッキーの鋳型」を手放し
より大きな
今までよりもっと広大な
あなた本来の魂(spirit)で
生きることのできる世界へ。
子どものような純粋さで
心躍る
無限の可能性が溢れる世界へ。
そのためには
「過去の自分」という
「鋳型」を葬って
立ち去ってゆく…
それは「今の立ち位置」
「今の概念(信念)」を、
書き換えていくということ。
それによって
時には「周囲」の思惑を
裏切ってしまうことも
あるかもしれません。
けれども無意識の中に閉ざされた
個人的な感情を
解放していくことで
新たな人間関係も
生れてゆくことでしょう。
それは
あたかも「神」が
私たちに「息」を吹き込み
「いのち」を授けたように…
その霊的な自分(Spirit)を
「本当に魂の願う一点」に
集中してみる。
そしてそんな「魂の願い」を
地上界に具現化してゆく…。
そんな風に「鋳型」を
捉え直してみることが
精神界と物質界との調和
(バランス)のとれた世界への
架け橋になるのではないでしょうか。