乙女座7度「ハーレム」*自分に求められる役割を心の中で設定し直す
ハーレムとは女性に囲まれて宴会なんかを楽しむ
サルタン(王様)なんかを想像しますが
正確には
イスラム圏で「女性が男性を迎え入れる個室」
といったイメージ。
旦那さんや子ども以外は入れない部屋。
そこには「支配する者とされる者」
という図式が成り立っています。
けれども
別な見方をすれば
「養うものと養われるもの」。
それによって相互依存が成り立っています。
いえそれを
「依存」と呼ぶか
「役割分担」と呼ぶかは
そこに関わる当事者の「意識」や「捉え方」の問題。
その時代の女性にあって
実際には
そこから逃れることは不可能だったと思いますが
そこで
幸せと思って生きてゆくか
不幸と思って生きてゆくか
それはその方の
意識の違いにもよるでしょう。
「限られた空間の中での深い関係」
のイメージは
ホロスコープ・サインの「蠍座」のイメージにも繋がります。
(実際サビアンのドテカテモリーでも蠍座の資質の入る度数です。)
私は
太陽が8室(=蠍座ナチュラルハウス)の生まれなので
「支配」や「依存」といった感覚と
本当の「情」ある関係…について
自分なりにいろいろと考えてきた感があります。
その中で辿り着いたのは
その「関係」についてどう捉えるかは
自分の「意識」次第であるということ。
何でも与えられて美しく着飾って
歌い踊りながら何不自由なく暮らせることを
「幸せ」と捉えるか
タロットの「ソードの8」のように
「囚われの身」
と捉えるか…
それは
「自分の心」次第であるということ。
同じ状況にあっても
その位置での
「自分の立ち位置」
「役割分担」を
肯定的に捉えるか
否定的に捉えるかは
結局は「捉え方」が左右するということ。
私達は
多かれ少なかれ
何らかの
「集団」に属して生活しています。
その中での
個々人の
「役割分担」について
自分が「所属」から
期待されていると思っている概念が
本当は
「集団」が期待しているものと
同一ではない場合もあると思います。
本当はもっと違う意図を
あなたに期待していることだって
あると思います。
また
あなたのイメージする「集団の意図」が
たとえ正しいものであっても
あなたが決して「不可能」と考えている
もっと違う「役割」だって
本当は「可能」なんだよ、
ということだって
あると思います。
ひとつ言えることは
「がんじがらめ」に見える状況でも
私達の心は
いつだって
「自由」なのだということ。
心の中には無限の選択肢があって
どんな「役割」と捉えることも
「自由」なのだということです。
心の中では
「選ぶこと」も
「意識を変えること」も
自由なのです。
よく言われることは
この「ソードの8」のカードにしろ
「悪魔」のカードにしろ
そうしようと思えば
ヒモや鎖を自分で断ち切って
脱出できるということです。
たとえ実際には
状況を変えることは
どうしようもないように
見える事でも
心の中の「意識」が変われば
確実に現実にも
「変化」が訪れます。
たとえ表面的な
状況は変わらなかったとしてさえも
「こころのうち」が、変わっている。
「拘束」ではなく
積極的に役割を担って「参加」していると。
意識が変わることで
もしかしたら
ハーレムで歌い踊る女性のように
もっと現状を楽しむことだって
できるかもしれません。
「歌い踊る」という役割を「究める」ことを
自分のミッションと捉え直す
そんなことさえできるかもしれません。
大切なのは
全てがもう既に「決められてしまっている」と
思わないこと
だと思います。
心の中のあなたの「思い」はいつだって
自分自身で選択する
「自由」があるのです。
その選択権を
自分で手にする
許可を与えましょう。
心の舵(かじ)は
自分で握りましょう。
あなたが「ここ」で果たす「役割」を
自分自身で「意識」して
「選択」しましょう。
現実は、あとから
その「設定」につれて
変化してゆきます。
いまたとえ苦しくても
その集団を出るか?出ないか?だけに
とらわれないでください。
(もちろんそれが可能なら
あなたがそれを選びたいなら、それもあり…ですが…)
「乙女座」とは
「自己意識」を完成させていくサインです。
いまここにある「苦しさ」も
それを勝ち取っていくための
道の途中。
もしあなたが今「ハーレム」のような関係性の中に
閉じ込められていると感じているなら…
それでも
あなたの「意識」は「自由」であり
「現実」に「変化」を起こすことができるものであるということを
知るための時間なのかもしれせん。