牡牛座11度「花に水をやる女」*豊かさで心を満たす「令和」始まりのサビアン
5月1日前後の太陽のサビアン。「私」がほんとうに「価値がある」と思えるものを「大切に慈しみ」エネルギーを注ぐことの大事さを教えてくれるシンボルです。過去「大切な瞬間」に何度も強調されてきたサビアンでもあります。
エポック・メイキングな度数⁉
2021年5月1日
天王星と太陽が
ぴったりと重なりました。
サビアンシンボルは
今回の牡牛座11度「花に水をやる女」
2022年5月1日
影響が大きいとされる
部分日食を伴う牡牛座新月も
こちらのシンボル
そして2019年5月1日
「令和」に元号が変わったのもこの日…
つまり
「令和」初日のサビアン・シンボルが
こちらなのです
「一人ひとりの資質」
「令和」の由来は
万葉集の梅の花の歌とされます
「春の訪れを告げる梅の花のように、
明日への希望と共に、
一人ひとりが大きく花を咲かせられる日本でありたいとの
願いを込めた」
牡牛座が大切にしているもの…
それは
「個々人の資質を大切にする」こと
生まれ持った身体・性質・才能・環境…
いろんなものが
かけがえのないあなたの「リソース」
「令和」を象徴する和歌にも重なります
もう一度
「私たちが既に持っているもの」に
あらためて目を向けてゆきたい…
そんなシンボルです
「形あるもの」の価値
牡牛座はこのように
「この世界に生まれてきた自分自身」や
「その資質」を
慈しみ、育てるサインであると思います
そして同時に
この「物質」世界に足を下ろしている
「身体の感覚」や
「形あるもの」を大切にしたい
と願っているサインでもあります
牡牛座11度の女性で言えば
水をやりながら
花びらの微妙な色あいや
醸し出す香りを楽しみながら
水をあげていることでしょう
「自分の価値観」を大切に
このサビアン・シンボルの女性が
水を上げているのは
自分が大切にしている
庭の花…
自分の内面的な幸福や美意識を洗練させる
ため
自分のことに時間を使うことに満足感
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
を持つ…というシンボル
つまり
「自分が大切に思うものを大切にする」
このサビアンには
そんな意味が
込められているように思います
そして同時に
「自分が大切に思うもの」を
大切にすることとは
「じぶん」が思っていること
感じていることを
ないがしろにしない…ということ
つまり「自分自身」を大切にする
ことでもあると思います
それは「令和」と言う元号に込められた
「一人一人が大きく咲かせる」べき
個性と言う花を
育てるイメージにも重なります
これからの【水瓶座時代】は
コミュニティーの時代
と言われますが
その基盤となるのは
自分から心を開いてゆくこと
も大切です
そしてそのためには
「あなたが自分の中で大切と思うこと」を
明確にすることも
大事になってくるでしょう
「じぶん」を満たす
「健全なエゴ」
を促すとされるシンボルでもあります
自分のことに時間を使いたくなります。
周囲のことには無関心になりがちで
内面から実感として感じる楽しみや快適さに
重きをおきたくなるでしょう。
(松村潔先生「愛蔵版サビアン占星術」)
じぶん自身が
じぶん自身のために
ワクワク楽しめることに集中する…
「他者」とは「同調」せずに
自分にのみフォーカスし
自分を満足させるために
行動すればいいんだよ…
とでも言われているよう
すると
このサビアンが伝えているように
「自分の庭」=こころの庭に
あなたを幸せにすると思うことを
大切に慈しんで育ててゆくことが
大切になってくるのでは
ないでしょうか
それは
自分の「感性」や「五感」で
良いもの
美しいと感じるもので
じぶんを「満たす」
ことでもあります
好きなもの
心地良いもの
心動かされるもの
ワクワクするもの…で
じぶんの「こころ」を
「満足させる」ことに
十分に時間を使うこと
ともすると私たちは
「周囲に要請されていること」
にばかり
時間と労力を使い
へとへとになってしまっています
「今まで目の前にあったのに
見えていなかったものに目を向ける」
私たちが
じぶんにとって
「本当に心を満たすもの」
が何であるのかを見直す時
と言われているのかもしれません
日々の地道な「積み重ね」
またこちらのシンボルは
優雅なイメージではありますが
「毎日地道に水をやって育てる」
という意味があります
例えば毎日ピアノの練習を欠かさない…
そんな風な「筋トレ」的な
意味を含んでいると思います
牡牛座11度には
「ドテカテモリー」として
乙女座の資質が混じっています
乙女座は
「ルーティンワーク」や
「メンテナンス」
を表すサイン
毎日・繰り返し・規則的に
コツコツと持続すること
花は毎日水をやり
お世話しなければ
しおれてしまいます
同じように
自転車をのりこなすとか
ピアノをひきこなすとか…
ある一定のレベルに
到達するまでは
「繰り返す」ことが
大切になってきます
「こころの充足」に必要なこと
牡牛座は「肉体」も表す
サインですから
頭で考えなくても
身体が覚えるくらいまで練習する
繰り返すことで
磨きをかける
その「繰り返し」は
それが「好きなこと」なら
楽しいはずであるし
その「繰り返し」は私たちに
じぶんへの信頼感や安心感
安堵感を与えてくれます
それは言い換えれば
「エネルギーを投資する」
ということ
自分自身を満たすために
自分のこころの充足のために
エネルギーを使うということ
彼女はじぶんの家の庭をに
大好きな花々を植え世話をし
大事に育てています
「天塩(てしお)をかける」
という言葉がありますが
*こころの満足
*素直な願望
*達成したい目標
に…時間と手間をかけ
育ててゆくイメージです
真に心が「満たされる」ためには
そこに
「自分のエネルギーを注いでいく」
ことが大切であるようです
十二支「丑」との共通点
ここで少し
「十二支」が生れた故事を
思い出してみて下さい
牡牛座をイメージされる
干支の「丑」は
自分の歩みが遅いのを熟知していて
新年の神様への挨拶に遅れないよう
誰よりも早く家を出ました
あいにく頭に乗っていた
ネズミには気づかず
1番の座は取られてしまいますが
先行きを予測しつつも
焦らず一歩一歩
進んだのです
「丑」という干支は
そんな風に
展望は大きく持ちながらも
着実確実に
一歩一歩歩んでゆく…
そんな意味を持つと思います
「花」も
毎日「水」をやり続けないと
枯れてしまいます
いつも自分を
「理想的な状態」に
「整えておく」ためには
やはり「積み重ね」が
必要とされていると思います
いつも自分自身と向き合っているために
「プロセス」の部分も
大切にするよう
促されているのではないでしょうか
サビアン「第3グループ」
また11度―15度までは
サビアン・シンボルで「第3グループ」
にあたります
牡牛座第3グループは
「お金を得て生活を豊かにする」ため
どう行動してゆけば良いのかを模索する…
そんなグループ
牡牛座11度で
「こころの満足」に着目し
牡牛座12度では
「ウィンドウショッピングをする人々」
でそれを拡げ
牡牛座13度で
その金銭を賄うために
「荷物を運ぶ男」となって労働し
牡牛座14度で
自分の限界を知って
牡牛座15度で
それでもなお果敢に
チャレンジしていく…
という流れです
じぶんを満たす豊かさへの願望と
じぶんの限界とを天秤にかけながら
*自分の能力
*自分自身で創り出すチカラ(創造力)
を上手に使いこなしていこう
としているのだと思います
「お金」や「豊かさ」もまた
「エネルギー」であり
スムーズに滞りなく循環し
「集約するとき」拡大していくもの…
すると牡牛座11度で
時間と労力、そしてエネルギーを
「こころの満足」のため
「集約」するなら
じぶんの内側に
十分にエネルギーを満たし
蓄えることによって
それはかけがえのない
「チカラ」となり
「豊かさ」を引寄せていく
…のではないでしょうか?
「内側」を豊かさで満たす
スピリチュアルでも
「豊かさを意識するエネルギーが
豊かさを引寄せる」
と言われます
自分の内を
豊かさと喜びで満たすこと
「じぶんが今持っているもの」に
手をかけて育て
心が満たされてゆくとき
「豊かさ」を招き入れるベースが
整えられるのではないでしょうか
自分を大切にするとは
だから注意したいのは
私たちがいつも
絡めとられてしまう
「面倒くさい」という気持ち
(私なんか毎日のように
反省してるんですが…(;’∀’)
じぶん自身に
お金や
時間や
労力や
エネルギーをかけることが
「メンドウ」になってしまう
だから
「このくらいでいいや」と
二番手、三番手で
妥協してしまう
するといつも
こころの奥の奥の方に潜んでいる
「じぶん」は
「なめやがって」と
思ってるかもしれません…😅
「あんたの私に対する思いは、
そんなもんか」
…と…
そして
プイッと
ふてくされてしまうような
気がするんです
そんな風に
ふてくされている
「わたし」が潜んでいたら
「豊かさ」さんだって
う~んなんかこの身体
住み心地悪そうだな…と
別のところに
流れて行って
しまいそうじゃないですか?
花だって
野菜だって
養分を与え
水をやり
太陽の光に当てて
害虫を取り除き…
そうやって育てたものは
立派に育つし
実がしまっていて
甘くて美味しい🍓
バラだって
立派に形の整った
締まって
凛とした感じの花が咲きます🌹
でも手を抜いたら…
ひょろひょろと
力が無く
右と左で花びらの形が違うような
なんとなく
締まりのない花に…😂
あなたもそれを
ごじぶんにしてないでしょうか⁉
こころの「飢餓感」
もしもこの牡牛座11度で
しっかりと
「じぶん」を満たしていたら
次の
「ウィンドウショッピングをする人々」
となっても
際限なく買い物をしようとは
思わない筈です
そう…ともすると私たちは
目の前に絶えず流れて来て
そして消えてゆく
「何だか面白そう、楽しそう」
なものに目を奪われがちです。
でもいつも
「外」から提供されるものを
ただ右から左に
追いかけ続けるのは
脳に一時的に放出される
「幸福ホルモン」のようなもの
だからしばらくすると
飽きてしまう
そしてまた
「不足感」を感じてしまう…
そしてまた
別のはけ口を求めていく…
その繰り返し…
そしてまたこうした
「こころ」に潜んでいる
「不足感」
「不満感」を埋めるため
結果重量オーバーの
「荷物を運ぶ」
羽目に陥ってしまう…
だからいつも
「じぶんを本当に満たすもの」
を見つめ続け
いま手を伸ばそうとしているもの
あるいは手に入れたものと
それとの間に
意識的に橋渡しをしたり
働きかけを行っていくことが
大事になってくるでは
ないでしょうか❓
「価値」の創造
そのためには
「不足感」
「不満感」といった
心の闇を見つめることも
大切になって来るでしょう
自分の心の奥底には
「そういったもの」が
いつも隠れていること…
それに気づかないままにいることが
「不足」を
「ただ埋めようとする」
無意識の働きに
絡めとられることに
繋がってしまうから
「不足感」「不満感」と
共にありながら
「ほんとうに心が満たされるもの」
じぶんを本当に「満たすもの」は
何であるかを
見つめ直していくこと
そして
いま「既に」じぶんが
「持っているもの」
を再確認していくこと…
「いまできること」を見つめ
手塩にかけて磨いていくこと…
それは洗練され
「価値」になってゆくと思うのです
そうすれば
牡牛座11度で
水をあげている
1輪1輪から
カメラをずーっとバックして
庭全体を映し出してみると
そこには
色とりどりの素敵な
個性ある花々が並んでいる…
それは「既に」あなたを満たしている…
そのことに気が付くこと
その「豊かさ」に気が付くこと
それが
こちらの
「令和のはじまり」のサビアンシンボルが
私達に伝えてくれていることではないでしょうか