天秤座8度「荒廃した家の中で燃え盛る暖炉」*失いかけた希望を再び見出すには
10月1日前後の太陽のサビアン。理想や願望に向けて歩みを進めていても、ひととの軋轢ややむを得ない事情により、それを半ばで断念してしまう、…そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか。上手くいきそう、いえ上手くいったにも関わらず、早くも変化の波に吞まれてしまう…。そんなとき、失望や諦め、無念や無力感を感じて、気持ちが萎えてしまいますよね。けれども、一度失いかけた願望に対しても、時間を置いたり、また新たな流れを待っていれば、再び気を取り直して新しい希望を見出してゆくこともできます。そう、自分の心の中の灯火を、絶やすことがなければ、です。
天秤座8度のシンボルを太陽に持つ可能性のある方:
キム・ソナ氏(女優「私の名前はキム·サムスン」)
柏原芳恵氏(歌手)
神田沙也加氏(歌手)
ウラディミール・ホロヴィッツ氏(ピアニスト)
ジュリー・アンドリュース氏(女優・歌手「サウンド・オブ・ミュージック」)
トルーマン・カポーティ氏(小説家「ティファニーで朝食を」「冷血」)
失われた希望を求めて
天秤座8度のサビアンシンボルは
一見荒れ果てた家の中にあっても
暖炉の火が燃え続けている…という
印象的なイメージが提示されています。
それは単なる視覚的な対比以上に
深い意味を持っています。
外壁は崩れ、窓は割れ
家全体が放棄されたように見える中で
暖炉の火だけが静かに
しかし確実に燃え続けている様子は
私たちの人生における
特定のシーンを思い起こさせます。
それは私たちが、あるとき
人生の困難や孤立感に遭遇したとしても
心の奥には
「暖炉=精神的な支え」や
「内なる光」が
消えていないことを象徴しています。
それは自分自身の
「人としての温かさ」や
「生きる上での希望」
または「生命力」が
どこかに必ず、残っていること…を
示しているのではないでしょうか。
それは静かで控えめながらも
確かなエネルギーであり
たとえ外の世界に
期待を寄せたり
支えとなるものを見い出せない
寄る辺ない状況であったとしても
自分自身の内面に
確かなチカラは
いつも奥に秘められていて
再生や癒しを促される…
ということではないでしょうか。
このシンボルが教えてくれるのは
私たちが外側の状況に
希望を見失った時も
内側にある、何か揺るぎないものは
決して失われないということ。
それは消えることのない炎であり
ただそれを忘れてしまっているだけ…
ということなのではないでしょうか。
そしてそれを思い出すことができれば
私たちの気力は再び回復され
再度「希望」に向かって
チャレンジしていくこともできるはず…
どんなに周囲の環境が厳しく
孤独を感じる状況にあっても
その炎は
外部からの承認や評価に
依存することなく
自らの存在から
湧き出る温もりなのです。
天秤座という
調和とバランスを象徴する星座の中で
このシンボルは
特に内面と外面のバランスを
強調しているようです。
そしてそのバランスを
もう一度回復するためには
特に<自己依存>という側面を
顧みることを
教えてくれているのではないでしょうか。
自己の暖炉の炎を育む
このシンボルは、現代社会において
特に重要な意味を持っています。
孤独や敗北感
見捨てられた感覚を抱かざるを得ない
そんな時、私たちは
私たち自身が
自分の「暖炉」となり
自己の内面から
温もりや安心感を生み出す必要性を
示唆してくれているようです。
誰か他のひと、また環境や
状況の好転を待つといったことではなく
自分自身が
自分自身の
<心の拠り所>を築くことが
求められています。
まず自分自身の内面に火を灯し
育てること…それは例えば
瞑想や自己対話
ジャーナリング
またセルフ・マッサージなども
良いでしょう。
自分自身に向き合い、
見つめ直し、労わる時間…
それは少しずつ
「内なる温もり」を
思い出させてくれるでしょう。
わたし達は日頃
「自分自身の価値」を
外部の評価や承認に依存しがちです。
けれども自己の価値を
内側から見出してゆくとき
周囲の声や変化にも揺らがない
真の安定を得ることが出来るのでしょう。
そんな自己の「内なる火」が安定したなら
今度は周囲に孤立感を感じている人にも
温かさや励ましを届けることも
できるのではないでしょうか。
天秤座8度~まとめ~
天秤座8度は
「外見の荒廃に惑わされず、
内なる光と温もりを見失わないこと」
そして
「自分自身で自己を再生し
やがて他者への癒しの灯火となること」を
伝えてくれています。
人生の冬の時期にこそ
この<内なる暖炉>を大切に守り育て
そこから湧き出る<温もり>を
信じてゆくことが
やがて真の強さと優しさを生み出してゆくのでしょう。
わたしはこの「内なる炎」と言う言葉に
斎藤ひとりさんの提唱されている
「わけみたま」と言う言葉を
思い出しました。
わたし達はいつも、誰でも、
ほんとうは宇宙そのもの、とも言える
大きな存在と繋がっていること。
そう信じるなら
決して「孤独」な存在ではない…とも
考えられるのではないでしょうか。
ご参考記事:
そして仏教の「自灯明(じとうみょう)」という教えも
思い出されました。
「自灯明」については
こちらの記事を是非ご参考に…