魚座7度「岩の上に横たわっている十字架」*自己設定のリミッターを超えてゆく
2月26日前後の太陽のサビアン。私たちは誰しも心の奥に、日常の人間関係や所属コミュニティの理念とはまた別に、大切にしたい価値観…魂の願いのようなものを、ひっそりと抱えているのではないでしょうか。こちらのシンボルは、そんな私たちの秘められた真実が、既存の枠組みを超越する瞬間を象徴しています。岩の上に横たわる十字架という静謐なイメージは、世俗的な価値観から距離を置き、より高次の導きに従う<意志>を表現しています。
魚座6度の振り返り
一つ前の魚座6度では
「集団の持っている価値観」に
自分を捧げようとしていました
それは国家かも知れないし
国を守る、そこに住んでいる人を守る
という「大義名分」ある組織かもしれません。
けれどそこで少し立ち止まって
考えてみて頂きたいのです
あなたがもし
「国とそこに住む人々を守る」
という理想を掲げ
何かしらの組織に属していたとします
けれどもあなたがほんとうに
「奉仕」したかったのは
「人びとが平和に楽しく暮らせる国」
という「理想」のイメージであって
「組織」…たとえば「軍隊」など…の
<そのもの>ではなかったのはずなのです
ほんとうに「貢献」したかったのは
「団体」ではなく
その向こうに掲げられていた
「理想の世界」のイメージであるはずなのです
「内側」に問い直すとき
私たちは、自分がほんとうに大切であると思い
全てを投げうってでも
絶対に実現させたいと願う
「理想のイメージ」を
そこに紐づけていた
(外側の)団体・グループ・組織・コミュニティにではなく
あるいは「社会」そのものにでなく
自分自身の<内側>の中に置き直すことを
促されるときというのが
あるのではないでしょうか
それはありのままの自分で
誰かの力になりたい、
貢献したい…という「良心」のもとに
―愛という名のもとに―
その「イメージ」を<再構築>する瞬間です
それは
「心の中に打ち立てられた魂の十字架」
と言えるのではないでしょうか
それはあなたの「強固な決心」の上に
横たえられます
そう、まるで「岩」のように
「強固な決心」の上に…
そうこの「岩」は
激しい荒波のさなかにも揺らぐことはありません

そのとき、魚座6度のように、それまで
「すべてを捧げて」きた組織の理念も
そこに同調していたあなたの世界観も
波のように
砕け散ってしまうかもしれません。
けれど、波が砕けても
あなたがあなた自身の中に発見した「心の岩」は…
つまり「(強固な)岩の上に横たえられた」
あなただけの十字架は
決して砕け散ることはないのです。
「光」が降りるとき
そしてあなたはその「自分自身の心の十字架」に
「祈り」を捧げるでしょう
「神よ、私は○○な世界を
何としても実現したいのです」…と…
するとそこへ天上の雲間から
「一筋の光」が差し込むのです

そのときあなたはハッキリと気付くでしょう
ここから、
あなたが何をすればいいのか
どう行動していけばいいのか…
それは「他の人から見れば」
どんなに大変な「無理難題」であっても
あなたは意に介さないでしょう
何故ならそれは「あなたにだけ囁かれた」
天からの言葉であるのだから―
そのように、あなたにも
今までの人生の中で
ああ、私はこれをやらなければ
やり遂げなければ
そんな風に感じた瞬間は
ありませんでしたか?
私は、この人生で、これをやり遂げたいのだ…と
決意したことが、あったのではないでしょうか?
タロットカード「ハングドマン」
こちらのサビアンからは
タロットカードの大アルカナ
「ハングドマン(吊るされた男)」
を思い出されます

彼は手足を縛られ
大きな木に吊り下げられ
身動きもできません
けれどもその額には
「後光」のような「光」が差しています
そうちょうどこのサビアンの「一筋の光」のよう…
そして大きな木に吊り下げられた姿は
岩の上で動かない「十字架」のようです
彼は「動けない」からこそ、木の上から
すべてをじっと見渡すことができます
そして「逆さま」であることから
他の人とは違う視点で
ものごとを見ることができます
だから彼は「自分が何をすべきか」を
ハッキリと
知覚したのかもしれません
何故なら彼の口元はうっすらと
微笑みさえ浮かべているのだから…
「吊り下げられる」という
「状況」を「受け入れた」ことで
彼の元に「天啓」が降りて来たかもしれません。
「受け入れる」という「選択」
「吊り下げられる」という「状況」は
彼を見る人びとからは
なんと残酷で悲痛な出来事と
思われるかもしれません
そうあなたの人生にも、そのような
どうにもならない、「過酷な場面」が
あられたかもしれません
けれどもそこには、「大いなる宇宙の意志」が
働いていたのだとしたら…???
この「吊るされた男」には
それが見えているのかも…。
そのような「状況」を「ただ流される」のでなく
「肚をくくり」
「受け入れる」と
「コミットしたとき」
その「状況」は我々を打ち砕こうとする
「荒波」ではなく
あなたの「こころの十字架」を
安らかな浜辺へと運ぶ手助けとなるものに
変わるかもしれないのです
今、目の前で、荒波が激しく打ち
「これまで拠り所としていた」
大きな何かが打ち砕かれようとするときにも
「吊るされた男」のような
「別の視点」で見るならば
その荒波の向こう
大海原の遥か彼方に
今まで見たこともないような
美しい果物が生い茂る
楽園ような浜辺を
見い出すことが出来るかもしれないのです
「思い込み」という価値観からの脱却
あなたの魂が呼ばれる道を歩むとき
たとえ孤独であっても
あなたは決して一人ではありません。
見えない次元から
無限の愛と支援が
あなたを包み込んでいるのです。
このシンボルは、ルディア版では
「海の霧に包まれた岩場に横たわる
大きな十字架が、 一条の光によって輝く」
となっています。
たとえ今は先の見えない霧の中を
歩いているように思える時でも
あなたが進む道を照らす光が
いつもきっとそこにあるから…
差し込む一条の光を信じて、
怖れずに、あなたの道を、進まれてくださいね。

そうした「信頼」のエネルギーが、魚座の海…
「大いなるワンネスの流れ」に同調するなら
必ず「目に見える物質世界」のエネルギーも
そこに引き込まれてゆきます。
それが魚座の伝える「霊主体従」。
「イメージ」の方が「形あるもの」を導く世界です。
何故それが可能となるのでしょうか?
「地上の十字架」という乙女座的な
論理、価値観への「思い込み」から解放されることで
「世界」と「わたし」を隔てている
「境界線」が消失し
「ワンネス」という世界と繋がり、一体になるから…。
それは「ハングドマン」が
その額に見ている世界かもしれません。
ここで大切なのは、ご自身を「守らなければ」と
「安全圏」にとどめなければ、と奮闘している
あなたの脳が、がっしりと掴んでいる
なにものかを手放すこと。
無意識のリミッターの向こう側を
光で照らしてみることなのです。
魚座7度~まとめ~
ですので、こちらのサビアンシンボルを
ネイタルチャートにお持ちの方
また強調されるシーズンに
いままで頼っていた「安心できる環境」を離れ
新しい道へと誘われる体験があっても
また「自分の意志」に忠実になることで
自分を支えてくれていた土台が崩れゆくような
そんなお気持ちになっても
荒波の波間に横たわる
「岩の上の十字架」のように
<あなたが信じるところ>に従って
進んで行かれてくださいね。
するとあなたは、やがて気付くでしょう。
「これまでの体験」は、まるで夢のよう…
それは単に、真実の「私の十字架」へ踏み出すための
「プロローグ」に過ぎなかったのだと。
それこそが、あなたが
自己の「岩場」=「自己の信念」に
ほんとうの意味で確信が持てるとき。
だからどうぞ、あなたに降りてきた
「天啓」という「光」が
あなたに囁く小さな声に耳を澄まし
もう一度、あなたが本当に望んでいること
訪れたい未来を確認してゆきましょう。
さあ、あなたの「心の十字架」は
どんな「信念」の岩場に横たえますか?
